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1.ヨウとレイとワタ
部屋の隅でじっとしている物体に、レイは恐る恐る手を伸ばした。
もこ、もこ……ふわ、ふわ……。この触り心地は、病みつきになる。
その物体とは「羊」だった。中型犬くらいの大きさで、とてもおとなしい。毛は綿のようにふわふわで柔らかい。
放課後、レイは毎日叔父の家に預けられている。
家といっても2LDKの安アパートだ。叔父のヨウはここに一人で住んでおり、いつ行ってもだいたい居た。留守にしているほうが少なかった。
レイは七歳。ヨウは二十五歳。レイにとってヨウは「おじさん」というよりも「お兄ちゃん」って感じだったが、それでも一人でここに来るのは少し気まずかった。
けれど、ヨウと一緒に住んでいる羊には大変に興味があって、ずっと羊とあそんでいた。レイにいいようにされても、羊はじっとして受け入れてくれる。
「ねえレイちゃん、これどうかな?」
無言で細かい作業をしていたヨウは、急にレイに声をかけた。そしてその成果物を姪に差し出す。
受け取ったレイは、しばらく見つめてから首をかしげた。
「……キリン?」
「いや犬だよ。羊毛フェルト。ワタの毛をもらってやってみたんだけど……」
どこをどう見れば犬になるのか。
ヨウがチクチク形作っていた羊毛フェルトは、異様に首が長くて気味が悪い生き物だ。レイがキリンと言ったのも、だいぶ捻った答えだった。
ちなみに「ワタ」というのは、ヨウと暮らしている羊の名前だ。
「そっか……。キリンか……」
「あ……」
目に見えてしょんぼりするヨウに、レイは何か悪いことをした気分になる。
叔父のこういうところがレイは苦手だった。自分のパパ、つまりヨウの兄とは違って打たれ弱く、どう接していいか分からない時がある。
だからこそ齢七歳にして、レイは気を使うということを覚えていた。
「えっと、ヨウ君は来る? 運動会」
レイの通っている小学校では、運動会は五月に開催される。それがちょうど、今週の土曜日にあるのだ。
「もちろん行くよ。でも……」と、ヨウは開け放った窓の外を見る。「暑そうだなぁ」
ここ数日、五月下旬にしては異常気象といえるほど気温が高く、予報では土曜日も暑いらしい。
「熱中症には気をつけてね」
謎の生き物を模した羊毛フェルトを握りしめて、ヨウは言った。
そして土曜日がやってきた。
前日までの天気予報は裏切られ、当日は雲が多く、暑さはだいぶ和らいでいた。
おかげでレイも思う存分楽しむことができた。
ただ、レイはお昼の時間に奇妙なものを見た。
青空にたくさん浮かぶ雲の中に、ヨウが作った羊毛フェルトにそっくりの雲が、まるで校庭を見下ろすかのように漂っていたのだった。
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