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3.あまごい
レイは十四歳。ヨウは三十路を越えて三十二歳になっていた。年月を経ても二人の日常はあまり変わっておらず、レイは相変わらず学校帰りにヨウの家に立ち寄ってはワタと遊んでいた。
変わったことももちろんある。中学生になってから勉強が難しくなってきたレイは、ヨウにそれを教えてもらうことが増えてきた。意外にもヨウは教え上手で、そのお陰でレイは学年でも上位の成績を維持することができていた。
十四歳ともなれば、また考えることも変わってくる。この頃レイは、ヨウが何者なのかを真剣に考えるようになっていた。
勉強を教えるのは上手だが、どこかへ働きに出ているようには見えない。だいたい羊毛フェルトを作っているが、時々PCに向かってキーボードを叩いている。働いていそうなのはそういうときくらいだ。
部屋にある本棚には、たくさん本が収まっている。「地理」とか「地球化学」とか「気象学」とか、なんだか小難しそうな単語が書かれた背表紙が並んでいた。
ヨウの正体も気になったが、もっと謎めいているのはワタだ。空から来たらしいということはレイも聞いたけど、それ以上のことはヨウにもわからないという。
わかっているのは、ワタの毛で作られた羊毛フェルトは宙に浮かび、空で雲になるということ。
ふつう、羊はペットにはできないらしい。愛玩動物じゃなくて家畜だから、飼うには許可が必要だったりそれ専用の畜舎が必要だったりとか。詳しくはレイにもわからないが、ということは、ヨウはこっそりワタを飼っていることになってしまう。
そんなワタと暮らしているからか、ヨウは未だに独身だった。
「ねえヨウ君」
勉強の休憩時間、ワタを撫でながらレイは思いきって言ってみた。
「ヨウ君って結婚しないの?」
「え? あ痛ッ」
羊毛をチクチクしていたヨウは、自分の指をチクッとしてしまった。
「い、いきなり、何?」
「だってパパが三十二歳のとき、もう結婚してあたしもいたし」
「今はほら、晩婚化っていうし。ていうか、子供がそんなこと気にしなくていいの」
「もう子供じゃないし。気になるじゃん」
「とにかく、それはレイちゃんには関係ないことだから」
「む。なんかそれ冷たい。どうせ相手もいないんでしょ」
「い、いいいいいるし、恋人、くらい」
「嘘だね。だってずっと家にいるじゃん」
「お、怒るよ」
「やってみなよ」
レイは挑発するようにニヤニヤする。ヨウが怒ったところなんて見たことがない。そんな度胸はないのだ、この優しい叔父は。
一応くやしそうに歯を食いしばるヨウだが、それ以上のことは何も言わなかった。ふんっ、とそっぽを向いて、
「わかった。もう勉強は見ないから」
「あっ! それはー、困るなぁー…….」
「知らないよ」
「ごめんってば。謝るから」
そのとき、ヨウの机の上にあるスマホが鳴った。鳴ること自体珍しく、ヨウは慌てて出た。
「はい、海野です。……あ、お、お久しぶりです」
ヨウは一瞬だけレイのほうを見てから、スマホを耳に当てたままベランダに出た。
なんだ? と思ったレイは聞き耳をたてる。
「ええ、もうそんな時期ですね。今年もですか? はい……はい、もちろん、数は充分です。いつでも大丈夫ですよ。……わかりました、じゃあ来週の土曜日に。ま、またお電話します。そ、それじゃ」
通話を切ると、緊張していたのか、ヨウは「ふぅ」とため息をついて額の汗を拭った。六月だから暑いのは暑いけど、そんなに汗をかくほどの電話だったのだろうか。
「どっか行くの?」
「うわびっくりしたぁ」
「なんでそんな跳び跳ねるの?」
反応が面白くてレイはクスクス笑う。
「仕事だよ」
「ヨウ君、働いてたんだ」
「働いてるに決まってるでしょ……これでもライターやってるんだよ」
「ガチぃ?」
思わぬタイミングで叔父の社会性を見たレイだが、それよりも気になるのは電話の内容だった。
あの様子は、ただの仕事って感じはしない。
(気になる)
とても、気になる。
気になるから、レイは、ヨウについていくことにした。
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