1話 待ち合わせのコーヒー

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1話 待ち合わせのコーヒー

 いつもこのカフェは混んでいる。それは知っていたことだ。前に来た時も座れず、蓋付きのコーヒーカップを片手に駅前をウロウロと徘徊して、彼と合流できるまでの1時間で身体を完全に冷やしてしまった。それは3週間前の1月の話。  わかっていたはずなのに、またこのカフェのレジに並んでいる。明らかに座れそうにないから、テイクアウト用の蓋付きの紙カップでホットコーヒーをオーダーする。  店内利用の方が地球にやさしいと思う私は大袈裟だろうか。店内でゆっくり彼を待って、やたらと重いマグカップでコーヒーを飲む。絶対その方が地球にも私にもやさしい。だけど今日もテイクアウトコーヒー。飲み終わったら紙カップはどこに捨てようか。  駅ビル内にあるカフェを出て商店街を歩く。今日は特別寒いぞ。彼がスカートの方が似合うと言うから、スカートを履いてきたのはマズった。発熱効果素材のストッキングが本当に発熱しているのか全くわからない。  ゲーセンに一時避難。UFOキャッチャーのぬいぐるみが私を呼んでいる。  UFOキャッチャーのボタン横の隙間にカップが置けるスペースがあるのは開発者の計算なのか。いやいや計算されているのはこのUFOキャッチャーの景品の配置だ。  “こんな私でもあなたを落とせる”と思わせるぬいぐるみの配置は、ズルい。  私はぬいぐるみ(あなた)の誘惑に負けて、百円玉を投入。  クレーンを動かし、狙いの上部に移動。完璧な運び。あとはボタンを押してアームを下ろすのみ。ボタンを押すと同時にコートのポケットから振動を感じた。嫌な予感。ポケットから素早くスマートフォンを取り出すとメッセージが入っている。メッセージの主は村田光輝(むらたこうき)。予想通り彼からだ。 『(こずえ)、ごめん。先輩に飲み誘われた。また今度飲もう』  またかよ、と思って顔を上げるとアームが狙いのぬいぐるみを掴んでいる。思わず「わっ」と声が出た。その声と同時にぬいぐるみは目的地の投入口手前で滑り落ちた。あまりにもタイミングが良すぎやしないですか。  そこまで欲しいわけじゃない。すぐにゲーセンを出る。  そこまで欲しかったわけじゃない。イソップ物語の酸っぱい葡萄のキツネを思い出す。高い所にあって取ることができない葡萄を、どうせ酸っぱい葡萄だと言うキツネのセリフは自分を誤魔化す言い訳だ。私は違う。もとからそんなに欲しくなかったのだ。ぬるくなったコーヒーではなくお酒が飲みたい。 『急だけど今日下北沢で飲まない?』  そうメッセージを送って、1分と経たないうちに返事が来た。暇人か。そう思って連絡してるわけだが。 『何かあった?飲もうか。今新宿で、30分後くらいに行ける』  コーヒーカップをコンビニ内のゴミ箱にこっそり捨てて、古着屋巡りして時間潰し。  コートのポケットがまた震えた。 『しもきたついた いまどこ』  お前は外人か。カタコトのメッセージは歩きながら送ったのだろう。改札まで行くと手を上げて私に合図を送る男。長身で黒いコートに黒いパンツを履いたこの男は、時間に遅れたことがない。 「どうした?高橋が急に飲もうという時はいつも何かあるでしょ」  どうした?の声は穏やかでやさしい。 「とりあえず飲もう」  そう言って目的地も決めずに歩き出す私。とりあえずビールがないと。 「何系がいい?」 「美味しい刺身があるところ」  先を歩く私の腕を掴んで「こっち」と真っ黒男が道を誘導。すぐに店に到着。 「(しん)くん、知ってる店?」 「来るまでに検索してたら、良さげだった」  そう言って、慎くんはお店の扉を開く。若者が多い下北沢では珍しい大人の店ではないか。 「カウンターだけ空いてるって」  すぐに飲みたいから、もちろん承諾。  カウンターのテーブルは木の目が見える立派な作り。後ろにテーブルが3つだけの小さな店だがカウンターの2席以外全て埋まっていて、賑やかだ。  お手拭きに触れる前に「とりあえずビール2つ」と私が言うと、慎くんが笑った。私より7才年上の福原慎は今年で35才のはずだが、若々しいその笑顔は、年上であることを忘れる。隣に座った彼からはいい匂い。 「で、どうした?」 「焦るな、ビールきたよ」  とりあえず乾杯。彼からドタキャンされたことを報告。 「カレじゃなくて元カレでしょ」  慎くんが言う通り元カレ。いつまでも結婚する気配のない彼を振った後、一緒に飲んでくれたのがこの男、慎くん。だいたいの私の男事情を知っている。  慎くんは私の好みをだいたい知っている。男も食べ物も。何も言わなくても勝手に頼んでくれる慎くんは、大人だ。そしてズルい男。 「髪似合ってるね、今回好きかも」 これくらいは挨拶のようにさらりと言う。ネイルを変えた時も、「その色いいね、綺麗」と私の目を見て言う。だが決して一線を越えて来ない男。だからこうして飲み友達でいれるわけだが。 ビールを4杯飲んで、焼酎に変えてからいつも慎くんに絡んでしまう。 「会いたいって連絡が来るってことは私のこと好きってことでしょ」 「男はやりたいときも連絡する」 「やりたいだけなら風俗行け!」  もちろん本音じゃない。彼が風俗に行ったら殺す。別れる。いや、もう別れている。私の元カレ、光輝は何を考えて連絡してくるの?ストレートに慎くんに訊く。慎くんはやさしい声で私に言う。 「やっぱり会いたいからでしょ」  私はその言葉を待っていたのか、少し落ち着く。  そのあと焼酎5杯は飲んだろうか。たっぷり慎くんに絡んだ後、解散。私の家は2駅隣で改札まで送ってくれる慎くん。大抵の男は部屋まで送ろうとして、やろうとする男ばかりなのに慎くんは違う。慎くんは私が歩いて帰れるのを確認すると、笑顔で手を振った。男は単純でわかりやすいと言うけど、私にはさっぱりわからない。光輝も、慎くんもさっぱりわからない。  今日は飲み過ぎた。眠くて何も考えられない。とりあえず明日考えることにする。    飲み過ぎた次の日の朝は、必ず後悔する。飲むにしてもこれからは適量の2、3杯までにすると決意するのだが、飲み出すと忘れてしまう。そして光輝(かれ)にはもう連絡しないと決めたのに、また連絡してしまう。  何も予定のない休日。何もする気がない。掃除もする気がない。スマートフォンを延々と眺める。気がついたら、返事が来ていないのにまた光輝にメッセージを送ってしまう。  私が振ったのになぜだろうか。  私と結婚したいと言っていた光輝。気が付けば「いつ結婚するの?」と訊いていたのは私だ。そして毎回「落ち着いたら」と返事がくる。このやり取りを何回しただろうか。  フリーターの光輝が言うこともわかる。フリーターで結婚は、親を説得するのは難しい。だが落ち着く様子もない彼は友達が多く、いつも飲んでばかり。私はその飲みに参加したことがない。「私を紹介しない理由は何?」と酔っ払って訊いたことがあるが、「そんな飲みじゃないから」とあっさり返してくる。そして私はいつも追求を止めることができない。 「私のこと恥ずかしいと思ってるでしょ」 「結婚しようと思ってるって友達には言ってるの?」 「いつ親に挨拶してくれるの?」  途中で流石に言い過ぎだと思うが、なぜかブレーキが利かない。 「私のこと好きなの?」 「好きだよ」  もっと言えよ。自分から伝えろよ。 「結婚する気がないなら別れよう」 「今は無理だ。落ち着いてからしか考えられない」 「落ち着くっていつだよ。今考えられないなら別れよう」  結婚したいなら止めるでしょ。何承諾してんの。あれだけ私を口説いてきたのに。結婚すると言っていたのに。  そんなやりとりがあったのが、4ヶ月前の10月。もうすぐ春だというのに私の部屋に帰って来る様子はない。  どうせすぐに光輝は戻って来る。そう思っていたが友達の多い光輝は、友達の部屋に潜り込んで楽しくやっているようだ。毎夜、楽しい様子の写真をネットに上げている。時折、写真に女の子が写っている。派手な女、地味な女、大人の女、バンド女(派手な女と一緒か)とさまざま。共通点がなく偏りがない。どうやってそんなに出会うのか。私の友達は、慎くんと真紀くらいだ。  今日は真紀と飲む約束をしている。遠くに行くのもしんどいと言って今日の飲みも下北沢。  新しくなった下北沢駅構内は広い。私が仙台から東京に来て、初めて下北沢に来た時は工事をしていた。ずっと工事のイメージだった下北沢が段階的に新装オープンし、ようやく完成したのが去年。オープンしたら、光輝と一緒に食べに行こうと思った店があったのに、、、  先に着いていた真紀が、駅構内のベンチに座っていた。  木村真紀。学生時代にバイトしていたカラオケ店員の仲間。同い年の27才。彼氏アリ。ロングのトレンチコートの中にニットのセーターにロングスカート。派手ではないが男受けするファッションだ。本人は無自覚。というより彼と服を買いに行っているからそうなるのか。  光輝と行こうと思っていた店と知らず、真紀はそこに行きたいと言う。次回はきっとそこで光輝と飲むはず。結局、表に九州料理をアピールしている居酒屋に入った。  九州の地酒は後にして、とりあえずビールを頼む。なぜか真紀が笑う。どうせ私はオッサンだ。ついでに宮崎の地鶏唐揚げを注文。  光輝にドタキャンされ、慎くんと飲んだことを真紀に報告。要約すれば1分で済む話を、ビール3杯は飲んで、店に来て1時間は過ぎていたことに気付く。  小さなテーブルには、唐揚げ、馬刺し、刺身盛り合わせ、海鮮サラダが並んでいるが、ほとんど減っていない。 「食べよう」  そう言って唐揚げにかぶりついたら、真紀がまた笑った。今度はなんだ。 「梢っていいね。元気で良かった」 「えー、落ち込んでるから、励まして」  真紀は「はい、はい」と言って、手を挙げて店員を呼ぶ。「グレープフルーツサワーと、梢は何にする?」 「えーと、瑞泉、ロックで」  グラスになみなみに入った泡盛。半分飲むと気持ちよくなってきて、この空間が最高に思えてくる。真紀よ、私と飲んでくれてお前は最高だ。後日、それを口にしたかどうかは覚えていない。光輝の話から慎くんの話になったのは覚えている。 「慎くんのこと好きになったりしないの?」 「長く付き合っている彼女がいる。慎くんの方が彼女のこと好きって感じ」 「話聞いてると梢とお似合いな感じなのにね。慎くんは結婚しないの?」 「知らない。彼女が結婚願望がないって言ってた」  真紀に話しながら、慎くんのことを何も知らないなと思う。そう思いながらも酔いが回り、そんなことどうでもよくなる。 「瑞泉ロック、おかわり!」  朝、起きると気持ち悪くてトイレで懺悔。しばらくベッドでダウン。あと15分で家を出なければ仕事に遅刻してしまう。  洗面台の鏡に映る自分は、酷い顔をしてこっちを見ている。光輝はこの顔を見ても結婚したいと言ってくれた。光輝は優しかった。顔も綺麗で自慢の彼氏だった。でも、お金にだらし無く、飲んでばかりで、帰って来ない日もあった。誰に話しても光輝とは別れた方がいいと言う。そんなのは自分が1番わかっている。別れた方が良いと言って、私に言い寄ってくる男も何人かいたが、下心丸見えの男ばかりで胸焼けがする。実際に胸焼けがするから胃薬を飲んでから家を出よう。  そう云えば慎くんは、光輝と別れた方が良いと言わない。何でもやりたいようにすればいいと慎くんは言う。私を野放しにすることを楽しんでいる節がある。  洗面台前で考えてしまう癖でまたギリギリの時間だ。胃薬はとりあえず鞄に入れて靴を履く。なぜか鍵を掛けてからいつもゴミ出しを思い出す。もう間に合わないからゴミ出しは諦める。光輝がいた時は楽だったなと一瞬思ったが、昼まで寝ていてゴミ出ししていない時を思い出してまた腹が立った。イライラするとまた胃が痛くなる。  結局、胃薬を飲んだのはお昼休憩に入ってから。食事前に飲んでしまったことに後悔したが、こんな小さいことでモヤモヤする自分がさらに嫌になる。落ち着かないからスマートフォンを触ると、また光輝にメッセージを送ってしまった。  コントロール不可能です、私。  
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