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はつこひ
母は、ちょうど弟が産まれたばかりで、実家に帰っていたのです。
どうしてだか、その日は、女中さんも、何処か用達しに出ていて、どういう訳か、家には、私と父としか、居なかつたのです。
昼下がり、二階で、友だちから借りた、少女雑誌を読んでいて、一階にいる父に、急に呼ばれたものですから、わたしは慌てて、雑誌を引き出しへ仕舞って、一階へ降りていきました。
父は、わたしへ、英二さんが、駅へ着ているはずで、雨が降りそうだから、傘を持
って迎えに行けと、そう云うのでした。
英二さんは、田舎から出てきて、帝国大学に通われている学生さんで、父の所へ、よく遊びに来て、本なんかを借りたり、難しそうな英語の論文を持って来て、父に質問したりしておりました。
その日は、昼から、英二さんが来る約束になっていたのでしょう。
その頃、父は、シェークスピヤの研究で、世間様から、一目置かれておりました。
そのため、私たちの家には、たびたび、出版社の方とか、文学者の方とか、若い学者さんや学生さんなんかが、出入りしていたものです。
英二さんは、その中でも、とびきり背の高い、好青年で、近所の娘が噂をしているのを、わたしはよく知っていて、憎からず、思っている、いわば、初恋の、そんな言葉を使うと、ひどく恥ずかしいのですけれど、わたしの、人生で、すきになった、おとこのひとでした。
わたしは、父に云われた通り、お勝手の蛇の目傘を持って、家を出ました。
道すがら、女学校の同級生に見られはしないかと心配して、でも、富美子さんとでも出くわして、
「アラッ! その方は、一体、どなた?」
などと、聞かれてみたいような。
「この人は、父のお弟子さんで、帝国大学の学生さんよ」
と、頭の中で、繰り返し、繰り返し、練習して唱えて、出会った友達に、本当に何とも思っていないように云うところを、想像していた。
駅へ行くと、英二さんが
「ヤ、善かつた」
と、私の顔を見て、ほっとしたように、笑った。雨はもうずいぶん降っていて、やはり、英二さんは傘を持たずに来て、立ち往生をしていた。
「お嬢さんが傘を持ってきて下さったの」
「ええそうよ。お父さんが、持っていきなさいって云うんだもの。でも一本きりしかないの、わたし、そそっかしくって、忘れてきちゃッたわ」
わたしは、自分が、人を迎えに行くのだから、もう一本傘がいることなんて、わかりきっていることなのに、自分一人だけ傘を持って、ここまで来てしまったことが、恥ずかしくて仕方がなかった。
いつも、母にも、学校の先生にも叱られている、わたしの欠点。
そんなわたしの見苦しい失態を、英二さんは、気にする訳でもなく、私の手から、傘を取り上げて、
「ぢゃ、仕方ない。一緒に帰りましょう」
と云った。
「ええ、でも」
「サ、約束の時間に遅れちまうぜ」
英二さんは、時どき、こんなふうに、わざと、男の、学生同士で使っているような下卑た口調になって、わたしをからかっているのだわ。
まるきり、こどもだと、世間知らずの、お嬢さんだと、思われているんだわ。
「いいわ、一緒に入ったげる」
わたしは、馬鹿にされてようなのが、悔しくって、嫌な女、男にくっついて、誘惑するような、はしたない、ふしだらな女のように、いかにもエラそうに、
「あなたが云うから、仕方なくよ」といった風に、傘の中に入ったのでした。
顔では、平気なふりをしていたけれど、わたし、胸が苦しくって、たまりませんでした。
男のひとと、二人っきりで道行きなんて、それも、相合傘をして、並んで歩くなんて、そんなことは、初めてだったのですもの。
嗚呼、本当に、こんなところを、誰かに、本当に見られでもしたら、私、明日、学校で、ひどく噂をされてしまうわ。困るわ。
英二さんの方は、大学で勉強なさって、父とも話している、外国の、文学の話だとか、戯曲の話だとか、今やっている芝居の話だとかを、しきりに、わたしにしているのでした。
この雨は、いつまで降るのかしら。駅から、どれくらい、歩いたかしら。
わたしは、そんなことばかり気にかかって、英二さんのお話はひとつも、耳にはいってこないのです。
あとどれくらい、英二さんと、相合傘でいられるかしら。
嗚呼、厭だ。なんて、なんて浅ましい。いやらしい考え! 英二さんには、郷里に許嫁がいらっしゃるのです。
雨音が、どんどん強くなっていく。
もう、英二さんの声も、雨音にかき消されてしまって、わたしたちは、なんにも喋らずに、ただ、ずっと、雨の中を、歩いていた。
英二さんの着ているシャツの肩が、片方だけ、濡れている。
白いシャツが透けて、英二さんの肌が、透けて見えて、むっとする汗の匂いがして、わたしは、わたしの目は、鼻は、耳は、全てそれしか知らないみたいに、英二さんの声、息遣い、体臭、濡れたシャツ越しの、存外に分厚くて、たくましい筋肉の運動を集めていた。
初めて、おとこのひとの、からだに、ふれたいと思った。
背中から抱きついて、わたしの胸を押し当てて、英二さんの体温を感じて、鼓動や、呼吸、わずかな肉体の動きさえ知られたならば、どれほど幸福か!
曲がり角を曲がって、家の門が見えた時、英二さんが
「お嬢さんは、センシンテキな女性おなりなさいよ」
と云った。
それが、「先進的」だとわかったのは、家に帰って、ずいぶん経ってからのことだった。
三年後に、わたしは銀行員と結婚した。
英二さんは、奥さんをもらって、今は、お子さんと一緒に、鎌倉へいるという。
紫陽花の絵はがきが、父の家へ届いていた。
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