雨よ、降れ!

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 ゾッとしたが、それでも雨の降らない生活は夢のようだった。  まず、傘がいらない。川だろうが、池だろうが、どこにでも遊びに行ける。友達に気を遣うこともなく、憧れていた小麦色の肌も手に入る。  でも、そんな私の浮ついた気持ちに反して、村は確実に干上がっていった。 「田んぼが……」 「どうしよう、水が足りない」 「また、旱が起きるのか?」 「湖も干上がって、ひどい有様だよ……」  村のあちこちで、不安げな顔をした大人たちが話し合っている。  雨が降らなくなって、一ヶ月が経っていた。彼らの視線の先にある田んぼからは完全に水が消え、ひび割れた地面を惨めに晒している。  私はその横を、耳を塞いで足早に通り過ぎた。顔を合わせる度に、雨女でなくなったことを責められているような気持ちになる。  もう一度神社で願うべきだろうか。元に戻してくださいと。  でも、雨女に戻ったら二度と外では遊べなくなる。また傘のいる生活に逆戻りだ。 「そんなの、嫌……」  ぐちゃぐちゃに乱れる感情を振り払うように田んぼ沿いを走っていると、畦道でお婆ちゃんが座り込んでいる姿が見えた。  ひどく顔は青ざめ、とてもしんどそうだ。慌てて駆け寄り、体を支える。お婆ちゃんの小さな体は、まるで燃えているかのように熱かった。 「お婆ちゃん、大丈夫? ちょっと休憩しよう?」  木陰に移動し、カバンに入れていた水をお婆ちゃんに飲ませる。お婆ちゃんはこくこくと喉を鳴らして水を飲み干すと、ふうっと息をついた。   「ありがとう。助かったわ。ちょっと油断しちゃって。お婆ちゃんも、もう歳ね」 「無理しちゃダメだよ。せめて夕方になるまでは、家から出ないほうが……」 「でも、田んぼが心配で……」  お婆ちゃんの視線の先には、干からびた田んぼがある。先祖代々、守ってきた田んぼだ。毎年秋になると、黄金色の稲穂が一斉に実る姿を、私もいつも心待ちにしていた。  なのに。 「お爺ちゃんが遺した大事な田んぼだけど、諦めるしかないのかねぇ……」  しょんぼりと呟くお婆ちゃんに、ひどく胸が痛んだ。  ダメだ。  これ以上、大切な人たちを悲しませてはいけない! 「みーちゃん?」  お婆ちゃんの声を振り切るように、地面を駆ける。汗だくになって辿り着いた奥社の前には、箒を持った神主さんが一人佇んでいた。   「いらっしゃい。今日もお参り?」 「あ、あの、ここのお願いって、取り消すことはできますか?」 「どういうこと?」  キョトンと首を傾げる神主さんに、私は荒い息を必死に落ち着かせながら、今の状況を説明する。神主さんは黙って私の話を最後まで聞いていたが、やがて小さく微笑むと、箒を横に置いた。   「昔話をしようか」  手招きに応じて由来書の前に移動する。神主さんの白い指が、由来書の一部分をそっと指し示した。 「ここにね、二人は契りを結んで夫婦になったって書いてあるけど、本当は違うんだ。巫女はさ、この村が本当に大事だったんだよね。だから結婚の約束を破って、この地に龍神様を封じ込めた。二つの御霊っていうのは、二つに分けられた龍神様のこと。一つは下の本殿に、もう一つはこの奥社に。可哀想だと思わない? 騙し討ちだよ?」  滔々と語る神主さんの眉が、微かに歪む。 「そう思わない? みこちゃん」 「な、んで、私の名前を……」  確かに、私の名前はみこだ。生まれた時に豪雨だったから、昔話の巫女にあやかって名付けられたらしい。でも、神主さんには一度もその話をしたことはないはずだ。    みこ、巫女……まさか。 「思い出した? 僕の巫女殿」    神主さんがゆっくりと烏帽子を外す。艶やかな黒髪が風に煽られて、さらさらと揺れる。しかし、私はそこにあるものに目が釘付けになった。  ツノだ。頭頂部から牡鹿のようなツノが二本生えている。驚きに目を見開く私を見て、神主さんの色素の薄い瞳が、まるで猫の目みたいに細くなった。嬉しそうに弧を描く口元から、白い牙が見え隠れしている。  目の前の男は、人間ではないのだ。  思わず後ずさったその時、半鐘が鳴り響いた。
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