夏前夜

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 隣人が「夕涼み会」なるものをしている。風流で良い。はずなのだが、少々厄介なのだ。  ベランダでの話し声が、気になってしょうがない。  僕だって、夏は暑いから窓を開けたい。クーラーはまだ早いと自分に言い聞かせ、電気代を抑えたい。しかし窓を開けると、涼やかな風とともに隣人の声まで吹きこんでくる。 「やっほー、今日もかわいいねえ」 電話でもしているのか?毎日だいたい同じような内容である。 「夜は涼しくていいねー」 「かわいいねえ」 「ちょっと大きくなった?」 「もうすぐお話できるようになるかな?」  僕の見立てでは、テレビ通話か何かで子どもと話していると思われる。隣人はたぶん学生だから、兄弟姉妹の子か誰か。相手の声までは聞こえないから分からない。別に分からなくていい。  …こんなふうに、わりと予想してしまうので、話を聞きたくない。他人が話している内容を聞いてしまうのはよくない気がする。こちらに非はなくとも、隣人の生活の一部を聞いてしまっているようで、罪悪感のようなものがあるのだ。 「管理人さんに言ったら?」  友人に話を聞いてもらっている。 「騒音とまではいかないレベルなんだよね」  だから、苦情を言うのは気が引ける。 「他の住人は大丈夫なのかな?君の部屋じゃない側の人とか、下の階の人とか」 「最上階五階、しかも角部屋なんだよ。だからベランダがちょっと広くて視界が開けている。あと、真下の人はたぶん春に退去してる」 「うわーそれは夕涼みにもってこいだ」 「我慢するかあ」 「君が耐えられなくなる前に、連絡なりなんなりしろよ」 「そうする。聞いてくれてサンキュ」  こちらがどうして気を遣わねばならないのか。僕がもっと強気で出れるような人だったら、こう毎日もやもやすることもないのだろう。もっと盛大な夕涼み会を、いっそのことバーベキューでもしてくれれば僕も正々堂々と対応するのに。  って思っていたら、いいことに気付いた。雨が降っていると、隣人の話し声はこちらに聞こえない。ベランダに出られないのだ。というわけで、今の僕にできるのはささやかに願うことだけだ。  雨よ降れ。そうしたら、夕涼み会は中止せざるを得ないから。
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