大袈裟な虹

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 その子の名前はタヤといった。  その子が産まれた日には雨が降っていて、彼女の誕生を境に雨はタヤが降らせるものになった。 「先生、バケツの交換行ってきます」 「はい、行ってらっしゃい」  雨の日、タヤの涙がゴーグルに溜まる。授業を受けながら何度も手洗い場に立てないのでバケツの携帯を許可されていた。 「あ、先生私付き添い」 「なぜ?」  教師の疑問符はタヤの級友垣畑に追いつかない。 「どうしたの?」  タヤがバケツを持ち上げて涙をぶっちゃけようとした時、垣畑が制止する。 「ちょっと、一回、夢、夢、ぶくぶく」 「わ、溺れないでよ」  垣畑の夢はオレンジジュースいっぱいのプールで泳ぐことから、タヤちゃんの涙プールで泳ぐことに更新されていた。  でもタヤはそんな様子をゴーグル外しみて、首を傾げた。  タヤが泣くと空も泣く。  世界は彼女を雨を司る者と認識していた。  広がっていく波紋のスピードはタヤを一番狭い丸に押しやっても、止まらなかった。 「凄いよね、でも慣れると普通のクラスメイト、それも凄いよね」 「何も出来ないからじゃない? タヤちゃんが天気を操作出来たら違ったかも」 「怖いこと言うね?」 「体重計の上より怖い?」  タヤの涙は感情を伴わない、嬉し泣きでも悔し泣きでもない彼女の涙はやっぱり国のなんとか機関が成分を調べたりしたけどただの涙だった。 「違うんです」  タヤは否定するばかり。 「雨が降ると私の目から涙が止まらなくなるだけ。ある種のアレルギーかもしれない。花粉症みたいな。きっとめっちゃ敏感で最先端なだけで、3年後にはみんな同じに雨の日泣いているかもしれませんよ」   「なー、明日の七夕さぼりたいから雨にして」  学校長先生が毎年の新学期にお話をしてもこういう手合いは後を絶たなかった。 「お前、彦星だったの?」 「そーいうんじゃないから、私。雨女信じてるタイプ? ジョン・タイターによろしく言ってよ」  晴れの日、タヤの首から下がったゴーグルに日差しが嘘ばかりついている。 「にゃろ、肘の裏以外全部差し出せ、ひにぎって泣かしてやる」 「明日じゃないと意味ないじゃないよ」 「きゃ」 「ちょっと男子!!」  多勢な女子のかしましさに彦星の声がドンドン大きくなっていった。タヤは彼の髪形がとてもいいので短くしたら真似しようかなと思っていた。 「タヤちゃん、逃げよう。そんでそのまま数学さぼろう」  雨が降ると泣いている。  自分の涙と雨とに遺伝的な相関も音楽的な協奏も、何も感じないままにタヤは生きていて、そして。  ある日。雨音が消えた。  大きな蓮の葉っぱ傘にする河童の子も。  土管の中で仕方なく牛乳キャップ裏返す少年も。  吊るされるてるてる坊主に目鼻を描く前にマジックの匂いを嗅いで鼻を黒くする少女も。  空き缶に満ちていく雨粒の裾も。  恋人の瞳に跳ねる雨の冠も。  虹も。  タヤは空のバケツを虚無僧みたいに被る必殺ギャグに飽きていた。 「今日も降らないね」 「今日も泣いてないね」 「ちょっと日誌確認しよ」 「すごーい、もう25日間雨なし?」 「え? ちょっと異常じゃない?」 「だって、世界中でそうだよね?」 「そうだよ、タヤちゃんが産まれてから世界の天気は統一されたって」 「時差とかどーなってんだろ」 「知るかよ、そんなの」 「ちょっと、試しに……」 「何言ってんの? 紗英」 「だって、いくらなんでも」  タヤはもうゴーグルをスクールバッグの最奥にねじ込んでいた。ゴムのねじれが粘着するぐらいの間。 「タヤちゃん、ごめんね」 「謝るぐらいなら」 「そうじゃないって、私たちだけはわかってないとダメじゃん」 「だって、もう二か月だよ!!」  タヤの体に傷が増えていく。  一人、毎夜好きな音楽で耳を塞いで、泣けない自分に悔し泣きしそうだった。 「鉾盾かよ、欧米か!!」  と、テレビの芸人を真似て突っ込む余裕があるぐらいに心のバランスを幽体離脱させながら。 「なんか、運動場に変な、バス?」 「タヤさん。授業はもういいから」 「先生、裏切るの?」 「国家の犬ー」 「デブー」 「デブって言った人は後で職員室いらっしゃい。でもね、確かにこのままじゃどうしようもないでしょう。別にタヤさんが取って食われるわけじゃ、ないはずですし」 「はず?」  ギギ。  タヤの引いた椅子の音が絶命の一線を世界に引いて、逃亡劇が始まる。 「そんなに、難しくないよ」 「顔有名だから逆に、お化粧とウィッグでなんとでもなる」 「俺もいい?」 「彦星?」 「だってまだ泣かしてないし」 「七夕とっくに終わったけど」 「俺、さぼりたいのは七夕だけ系男子にみえる?」 「うん」  逃亡につきものの雨は降らない。  二人は日本の小さな街で暮らしていた。 「高校生だからなんとかバイトでイケルもんだな」 「中学生じゃなくて良かったね」 「でも、そろそろ世界の方がヤバイな」 「雨、降らないね」  アパートの窓を開けて手すりに腰かけるとタヤは空を見上げる。  彦星はフライパンでホットケーキを焼いていた。 「焼き目になんか解決方法でも浮かび上がらんかな」  なんてアニメに毒されたことを言いながら。 「テレビもネットも雑誌も新聞も、音と文字ばっかり速く走るね。人の気持ち、ぜーぜーリタイヤ寸前」 「このままだと水道来月には止まるかもってさ」 「琵琶湖の底に住んでる妖怪にだけは恨まれたくないなー」 「だからさー、俺、前から思ってたんだけど」 「うん」 「嘘泣きでもいいからやってみない?」 「バカ、そんなのとっくにやった」 「そうなの?」 「私は泣いてたんじゃないんだよ。そうみえただろうけど」 「え?」 「私、気持ちで泣いたこと、一度もないよ」 「ええ?」 「雨が降ると目からなんか出るの!! 目じゃなくて空なんじゃない? 雨雲だらけの!!」 「えええ、あ、ホットケーキ焼けた。メープル? ハチミツ?」 「ハチミツ」 「オッケ、タヤはホットケーキハチミツ派。一緒に暮らすと色々みえてくるね。涙以外」 「バカ」    世界から雨が消えて。  世界は一人の少女のせいにする。 「タヤさんの捜索は……」 「情報の提供者には賞金が……」 「彼女は役目を終えたのかもしれません」 「であるなら、次の……」 「それはタヤさんに死ねと言っているのですか?」 「しかし、始まりが彼女の生誕にあるのであれば……」 「タヤさんが生きたまま、いや、そもそも世界の天気と一人の少女を繋げて考えている我々に……」  タヤの耳を彦星が塞いだ。 「大丈夫。誰もお前のこと気付いていないよ」  一個の掛布団が二人の息で上下して、アパートの天井が下がってくる。 「誰のせいでもないし。恐竜も滅びたんだし、地球の寿命じゃん?」 「でもね、私以外誰もこんなじゃないよね。君も、昨日泣いてたよね?」 「俺はET観ると毎回泣くんだよ」 「ガキんちょ」 「うるせー」 「私、泣けない」 「不思議だな」 「やっぱり、何にも関係ないことない」 「うん」 「私が泣かないから、雨、降らない」 「うん」 「どうしよう」 「うん」 「何か変わったことなかった? 雨が止んだ日」 「ん」 「ぶっちゃけ言うけど、生理とか、ほら、そういうのあるでしょ、魔法が解ける瞬間。純潔でなくなったとか、キスで眠りから醒めたとか」 「勿論。考えてたけど」 「思い当たらない?」 「うん」  ポツ。 「あ、やっぱり、雨の匂いがしたと思った。俺この匂い大好き。草の蒸れるような青春のページに飛べるような。洗濯物取り込まないと」 「え?」  えええええええええええ!!  世界が「えええ」の大合唱。  雨が降った。  河童の子は蓮の葉で頭の皿を隠し、放課後の少年は土管で牛乳キャップを裏返す。  琵琶湖の底で妖怪は「やれやれ」と、お尻を掻いた。 「タヤ」 「雨、ホントに。雨」 「お前、泣いてないじゃん」 「関係、なかったのかな、じゃあ、私ってなんなんだろ」 「なー」 「ちょっと、君、それ、涙の後?」  彦星の顔に涙が一筋、伝った跡があった。 「ET?」 「そんなに頻繁にやってねーよ。いや、タヤのこと思ったらさ。なんかさ」 「ん?」 「全部押し付けられてさ、誰よりも泣きたいだろうに、それで世界が救えるかもしれないのに、それでも泣けなくてさ」 「うん」 「代わりに泣いてやろうと思って俺、ほら」  彦星の肘の裏以外に青痣がたくさん。 「遅い!! もっと早くやれたろ!!」  タヤの叫びを残して、晴れて雨が降り、世界は救われた。  その日を境に、世界の天気は普通に戻ったけれど、やっぱり、タヤは泣けないまま。 「雨、私の涙にも、君の涙にも関係なく降ったり止んだりしているね」 「ああ、きっかけは俺の涙、だったのかな?」 「それはそういうことにしておこうよ。誰かが私の代わりに泣いてくれた、それがきっかけ」 「そっか」 「バトンタッチじゃなくて悔しいけど」 「虹って瞳にもかかればいいのにな」 「は?」 「なんとなく」 「でも、ありがとう、救世主さん」 「ああ、体ひねぎらせてくれる?」 「それは、嫌」  小さなアパートに膝も触れそうな小さなテーブル一個。お皿が二枚。ホットケーキにメープルとハチミツ。タヤの涙は心の中に、いつか。  ポツ。     
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