わたしは、晴れが好き。

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わたしは、晴れが好き。

ママはアイスコーヒーが好き。 ガムシロップもミルクも入れる。 こだわりはコーヒーでつくる氷。 コーヒーが薄まらないように、コーヒーで氷をつくる。 わたしはいつも、ママのためにコーヒーを淹れる。 * ママは雨の日が好き。 大雨になればなるほど好きだって。 雨よ降れって空を見上げては呟いている。 雨の日は化粧が濃い。 部屋の薄暗さのせいではなくて。 雨の日に訪問してくる『タカハシさん』のため。 雨の日は、コーヒーをいつもの倍、淹れておく。 * わたしはおばあちゃんが好き。 雨の日はおばあちゃんに電話をする。 『タカハシさん』が《間違えて》わたしの部屋に入ってきても、わたしが電話をしていればすっと部屋を出ていってくれる。 だから、雨の日はおばあちゃんの声をきく。 * おばあちゃんはママが好き。 だって大事な娘だもの、と電話口で笑う。 離婚したんだから戻ってくればいいのに、って。 そうしてわたしに 「だれかいい人でもいるのかね」 と聞いてくる。 さあ?とこたえてわたしは呟く。 「おばあちゃんのところの子になりたいな」 * 『タカハシさん』はママが好き。 スマホの待ち受けが小さな可愛い女の子ときれいな女の人だとしても。 左の薬指に細い線が日焼けの痕のようにのこっているとしても。 わたしの部屋でベッドで寝ているわたしの髪をなでてくるとしても。 ママには優しい声でささやいている。 「きみが一番好きだよ、愛してる」 * わたしはクラスメイトの『中森くん』が好き。 斜め前の席の中森くんは、わたしと目が合うとぱっとそらす。 そしてわたしの横の席の山田くんに話しかける。 わたしはそんな中森くんをじいっと見ている。 山田くんと中森くんの会話が途切れて山田くんがトイレに立ったとき。 「アイスコーヒー好き?」 聞いてみたら、結構好き、と答えてくれた。だから 「うちにくる?」 誘ってみたら、うんと頷いてくれた。 外は雨が降っていた。 * わたしはわたしの部屋が好き。 中森くんをわたしの部屋に呼ぶ。 ベッドにもたれてアイスコーヒーを飲んだ。 「おいしい?」 「うん」 中森くんはどこかそわそわした様子で答えた。 わたしの特製コーヒー、おいしいって。よかった。 コンビニで買ってきたスイーツも食べる。 イチゴとチーズのクレープ。 二人ではんぶんこして食べた。 「おいしいね」 ふっと中森くんをみたら、中森くんの顔が笑っていなかった。目尻が赤かった。どんどん中森くんの顔が近づいてくるからぎゅっと目を瞑った。そうして唇に何か触れた感じがした。 あんまり一瞬で、すっと顔がはなれて恥ずかしくてお互いの顔は見れなくなって。 頭の中がふわふわしてまとまらなくなった。 でもきっとキスされたんだと思った。 その時『タカハシさん』が部屋に入ってきた。 ノックもせずに。 「きみはだれ?」 中森くんに強い口調で問い詰めるように聞く。 クラスメイトです、と小さく答え、中森くんはそそくさと帰ってしまった。 部屋にはクレープのゴミと、アイスコーヒーのグラス。 わたしは、また明日ねバイバイ、とも言えなかった。 口に残っていたイチゴとチーズのキスの味が消えてしまった。 『タカハシさん』がわたしの前に立って、迂闊に部屋に男を入れるんじゃない、と言うから『タカハシさん』だって入ってくるじゃん、って言い返した。 ぱしん わたしの頬を『タカハシさん』がぶった。 そして無言で腕をつかまれた。 逃げられない。 「ママ! たすけてママ!」 大声を出した。 でも聞こえなかったのかもしれない。 ママは来てくれなかった。 わたしは口を押さえられた。 『タカハシさん』の血走った目、紅潮した頬、荒い息づかい。 そのままベッドに倒されそうになった拍子にアイスコーヒーのグラスがローテーブルから落ちた。 カシャン グラスが割れた音で『タカハシさん』の力が緩んで、わたしはその腕から抜け出した。 わたしはわたしの好きな部屋を飛び出した。 「ママ!」 リビングでアイスコーヒーを飲んでいたママがわたしを見た。 「あらどうしたの?」 呑気な顔でわたしを。 さっき呼んだ声。 今出した大声。 雨の音できっと聞こえていないんだと思う。 たぶん、これから先もずっと。 * わたしはママが好き。 ママはわたしを好き? 「もうすぐパパができるのよ、これからは本当にママのことだけを好きって言ってくれるのよ」 わたしはアイスコーヒーをつくる。 たくさんたくさんつくる。 たくさんつくったアイスコーヒーで、氷をつくる。 たくさんたくさん。 明日からは夏休み。 わたしはおばあちゃんの家に泊まりにいく。 「明日から雨だって」 天気予報を見ながらママに言うと、ママはぱっと笑顔になった。 わたしは念を押した。 「アイスコーヒー、明日飲んでね。氷もまだつくったところだから。明日からしばらくは雨だからね」 * わたしは夏が好き。 夏休みはおばあちゃんの家ですごせる。 天気を気にしなくてもいい。 雨なら家の中でゆでたとうもろこしを食べたり、トマトやきゅうりをピクルスにしたり、おばあちゃんの縫い物を見ていたり。 晴れなら家の外で花火をしたり、花に水をやったり、おばあちゃんの大事な家庭菜園で草を取ったり。 わたしがおばあちゃんの家ですごしているうちに、ママと『タカハシさん』は倒れた。 わたしのいない雨の日に。 わたしのいないわたしの家で。 発見したのは『タカハシさん』の奥さんだった。 葬儀はもちろん別々で出した。 『タカハシさん』は、まだわたしのパパにはなっていなかった。 それどころか奥さんは別れる気などなかったと、苦しげな声で言った。 こっそりと入り込んだ葬儀会場で。 「まさか、こんな、心中するなんて。どうして。どうしてこんなことに」 奥さんはどこにもぶつけられない怒りを低く静かな声で呟いた。 ちいさな女の子が、パパはどこ?帰りが遅いの?と周りに聞いていた。 * 「まさか不倫していたなんてね」 おばあちゃんは肩を落とした。 わたしはそんなおばあちゃんを慰める。 「元気出して。これからわたし、ここの子になってずっと一緒にいるからね」 * わたしはアイスコーヒーがきらい。 一時的に帰宅した家でわたしは冷蔵庫のアイスコーヒーを処分した。 冷凍庫の氷もカラカラと音を立てシンクへ落とした。 ぜんぶぜんぶ、流れてしまえばいい。 何も残らないように。 アイスコーヒーはもうつくらない。氷も。 誰もこないのだから、もういらない。 もう雨の日を、気にしなくていい。
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