東京 6

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東京 6

入った途端に感じた怯えはなんだったのだろうか。一人で宿をとったこともないし女の一人旅など、しかも私のような年若い身なりもつましい娘が一人で宿をとることを訝しく思われないかという警戒心だろうか。それとも、宿の女将らしき女性の眼光のせいだろうか、なぜか怯えと落ち着かない気持ちにさせられ、今すぐ逃げ出したいような、そんな無様な真似は一層注意を引くと思うと腹を括るしかないと自分を叱りつけているような、そんな気持ちだった。 「あの、一晩宿を」 女将は宿帳を差し出した。その時の私の態度は明らかに良くなかったのは確かだ。いろんなことが起きたことで、心の準備もできてないままにここに飛び込んでしまったのだ。私は宿帳に書く名前も住所もろくに用意できていなかった。 正直な住所を書くわけにはいかなかった。でも、架空の都合のよい住所をすぐに思いつかずその少しの間が女将に何か不審に思わせたのだろう。 「どなたか身内の人は?」 「いえ、私一人です」 「どこから来たの。何をしに?」 答えられることが何もない。必死で考えた架空の住所を書きながら私は言った。 「あの、お金はありますので、一晩宿を」 私はそう言いながら懐の財布を出そうとし、うっかり持ち金を入れた封筒を落としてしまった。 女将はそれを素早く拾い、その厚みを触りながら眉をあげ、そして言った。 「あんた、何者?このどえらい大金、どうしたのさ」 急に口調が変わる。時間を戻せるなら戻したい。ここから今すぐ封筒を取り返して逃げ出したい。 「返してください。もう宿はいいですから」 女将は嫌な笑い方をした。 「そっちはよくても、こっちがよくないのさ。お上にもこの前の火付け騒ぎやらなんやらで、不審なものは通報するように言われてるんでね。このお金は何なのさ、あんたみたいな娘っ子が持ち歩けるような金額じゃないだろ」 「私のお金です。先祖からの大事な品を質にいれた代金なのです。返してください」 「そうかい。今すぐ警察を呼んでもいいんだよ。それに、ちゃんとしたお金だというのなら証明できるちゃんとした大人を連れてきてごらんよ。どこの誰かも隠したがってるようだけど、それが何よりの証拠じゃないのかね。後ろ暗い盗んだ金としか思えないね。これは私が責任もって預かっとくよ。だから堂々とちゃんとしたお金だと証明できるならいつでも取りにおいで」 私は夢中だった。女将に飛びついて封筒を取り戻そうと、ひったくろうとした。でも、汚いものかのように振り払われ、土間に投げ飛ばされた。惨めだった。恐ろしかった。 泣き叫ぶ私を、宿の若い衆が抱えるようにして宿から放り出した。私は、行くところもないまま、あっという間にほぼ一文無しになっていた。
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