東京 7

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東京 7

宿の前の道端で人々の好奇の目に晒され、とにかくこれ以上目立つわけにはいかないと立ち去ろうと歩きだす。もう十分目立ちすぎた。警察などに見咎められて事情を聞かれたら今度こそ全てが水の泡になってしまうのだから。足早に立ち去ろうとすると、声をかけられる。 「あんた、あそこの女将に騙されたんだろ」 同じ年頃の女の子だった。ただひどく薄汚れた着物とボロボロの草履で痩せこけている。 「あそこの女将はここいらの地廻りとつきあいがあって相当悪どい女なのさ。あたしはあの女将の裏にいる男に恨みがあってね。なにか握ってやろうと思って探ってるんだけど、あんた何された?」 呆然としたまま、私はただお金をとられたのだと言った。 「やつらは裏に強いやつがいるからたまに飛び込みの鴨を見つけるとああやって毟り取るのさ。災難だってね。どこか行くあてはあるのかい?」 私は首を振った。彼女は着いてきな、と言ってくれた。この子に着いて行っていいのかわからない。でも、今の私には選択肢がなかった。 歩きながら彼女は私の身の上を知りたがったので、簡単に、今日田舎から出てきたこと、頼りにしていた知人と連絡がつかず、しかもたった今お金を巻き上げられて行く所もないことを話した。彼女は黙って聞いてくれて、そして私に空腹かと聞いた。空腹ではなかった。いろんなことがありすぎてお腹がへったと感じる余裕すらなかったのだ。私はただ首を横にふったが、彼女は私をじっと見て言った。 「食べたほうがいい、顔が青いよあんた」 そう言って急に駆け出して人混みに紛れ、そしてまたこちらへ戻ってくる。彼女は左手をこそっと見せる。そこには男物の財布が握られていた。 「掏ったのさ。簡単だよ、教えてあげるから。とりあえず何か食べよう。」 怖かった。掏摸を見たのは初めてだったし、その盗んだお金で何かを買って食べることなど想像したこともなかった。でも一文無しになった私は、そうでもして生きていくしかないのかもしれない。彼女はしのと名乗った。しのはいつの間にか焼き芋を買ってきて、私に渡してくれた。焼き芋の暖かさと甘さで、頭がぼうっとなる。いろんなことがありすぎてまだ気持ちがまとまらないままこの東京のどこかの町にいる。小銭は少しはあるとはいえ一年は暮らせるつもりのお金を失い、身元を保証してくれるものもおらず、手に職もなく働いた事も何もない。そういう湧き上がる不安は今一瞬だけ甘い芋としのが隣にいてくれることで薄れる。一人じゃないってことがこんなに心強いのかと思う。そしていとはどうしているだろう。私はいとをあの家に連れてきてそして勝手に置き去りにして逃げ出してきた。いとは、秘密をかかえたままきっと一人でいるのだ。 しのは焼き芋を皮ごとあっという間に自分の分を食べ終えた。私は風呂敷からハンケチを出し、そこに剥いた皮をつつんで懐にしまった。私はしのより食べ終わるのが随分遅くて、しのは私が食べるのをじっと待っていた。そして言った。 「あんた、いいところの子だね。だから盗まれるほどの大金もってたんだね。でも事情があるってことか」 私は黙っていた。しのも少し黙り込んだ。 「あたしたち細民の暮らしは、気楽だけどそんなにいいものじゃない。捕まることもあるし、悪いやつに目をつけられて売られる仲間もいる。住む所も狭くて不潔だ。あんたには向いてない気がするよ」 そう言ってしのは続けた。 「こっちの方向、西のほうには絶対に行っちゃだめだよ。柄が悪い飢えた男たちがいっぱいいるからね、特に橋を渡った向こうは危険だ。この通りをまっすぐ北のほうにあがると大聖堂があってあそこは運が良ければ親切な人が炊き出ししてくれる時があるし、いろいろ面倒を見てくれる優しい人がいる。それに駅の近くは人も多いし身なりがいい連中が多いからまあ安全なほうだよ。鴨が多い場所でもあるんだけどね。悪いけど、あたしらのしまに連れて行ってやりたかったけど、連れて行ってはあんたが苦労すると思う。悪い事は言わないから、家に帰りなよ。あたしと来るよりそのほうがきっとましなんじゃないかって気がするんだ。」 しのはそう言って盗んだ男物の財布を私にぎゅっと押し付けて走り去った。私の気持ちは聞かないまま、ほっていかれた。私はまた一人になった。
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