30年後 1

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30年後 1

 この病院の付添婦になってもう何年もたつのだけど、未だに婦長の小言で心を乱される。聞き流せばすむのだけどそれでも、ネチネチと嫌味を言われると内心は穏やかではいられない。前に言っていたことと違うとか、その話はわたしに言われてもどうしようもないとか、頭の中ではいろんな感情が浮かんでは消え、浮かんでは消え、そして早く終わってくれるように出来うる限り神妙な顔をして聞いている自分が嫌になってしまう。今の心は、西棟3階の病室に飛んでいる。橋本さんに会いに行きたいのだ。取り立てて愚痴を言うわけではないのだけど橋本さんの顔をみると癒やされるから。わたしにとっては救世主のような存在。  付添婦になってすぐ、こてんぱんにいじめられて何度もこの仕事をやめたいと思っていた。でも、両親を早くに亡くして伯母夫婦に育ててもらった手前、わたしは人生を選ぶことなどできなかった。学もないわたしにとってここで住み込みで働かせてもらう以外の選択肢などなかったのだから、どんなに辛くても我慢するしかなかった。でもある時、あまりに辛くて辛くて、病院を飛び出してしまった。橋をわたったところに橋本さんの煮豆屋があり、泣きながら歩いてるわたしを目に留めて、橋本さんが追いかけて来てくれたのがはじめだった。「どうしたの」と問われても言葉も出ずただ泣くわたしの肩をさするようにしてしばらく側にいてくれて、そして少し落ち着くのを待ってからお椀に煮豆をよそって持ってきてくれた。甘い花豆の煮物だった。その甘さは今でも忘れることができない。甘さが人を癒やすというのは本当だと思う。辛さは消えないのだけど、心にホッとする気持ちが生まれたのだ。それからわたしは辛い時は暇さえあれば橋本さんの煮豆屋に寄るようになった。わたしのお給料でも買えるようなお値段だったし、それにいつも橋本さんはおまけを入れてくれて、それも楽しみだった。お惣菜のスジコンやおでんも優しい味でいつも人気のお店だった。何を話すわけでもないのだけどお客さんの少ない時間帯はいつもわたしが辛くないか気遣ってくれて、両親との縁が薄いわたしは橋本さんを母のように勝手に慕っていた。恥ずかしくて言ったことはなかったのだけど。  二日前に急に橋本さんがうちの病院に入院したのには驚いた。体調が悪いなど何も聞いていなかったから。でも顔は土気色で、療養が必要な状況だという。お姉さんとずっと二人で店を続けていたらしいのだけど、あの震災でお姉さんを亡くされてからは一人できりもりをしてきていて、身よりもないと聞いたことがある。これから橋本さんがどうなるのかを考えるのは怖かった。だから病室でお話できる時も、わたしはなるべく病気の話は避けていた。聞くのが怖くて。  病室は4人部屋なのだけど、同室は3人でしかも一人は処置室や休憩室などにいって不在のことが多く、もう一人は今は一時退院中だったので、わたしたちは合間をみてはおしゃべりをしていた。初めて聞くような話が多く出てきて楽しかった。あまりはっきりは話されないのだけど、橋本さんの子ども時代の話とか。大事な友達がいて、その人を失ったことを後悔しているのだとしきりに言って、わたしには友達を大事にするようにと何度も繰り返した。そんな友達がわたしにいただろうか。生活に必死で余裕がなくて振り返ると大事な友達といえるような存在なんていない気がして寂しくなる。大事な友達を失った橋本さんと、はじめからいなかったわたしとではどちらがより辛いのだろうか。 橋本さんはお姉さんとは血が繋がっていないという話もこの度初めて聞いた話だった。なんでも家出をしてきて行き倒れになりかけた橋本さんを、お姉さんが介抱してくれたのがきっかけなのだそうだ。だから橋本さんは言った。「本当の姓はね、橋本じゃないのよ」と。そんな事情もあって、泣きながら歩いていたわたしをほっとけなかったのだという。昔の自分を思い出していたんだと。だからあんなに優しくて、あれからも随分親切に声をかけてくれていたんだなと知って、胸が熱くなる。
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