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木蓮屋敷 7
結局、鎌倉での夏はそれから三年続いた。そして三年目の夏の後、平穏な日々に変化があった。山口先生が急に解雇されたのだ。山口先生についてはいろいろ噂があった。綾さまを父の総一朗様に黙って医者にみせたことがばれて逆鱗に触れたということだったがそれだけではなく、悪い噂も耳にはいった。大きな町の質屋に野崎家の家宝を預けていたとか、野崎家の金品が消えていたとか。使用人はみな山口先生のことをよく思っていなかったので聞き苦しいような悪口雑言がわたしの耳にも漏れ聞こえてきた。わたし自身は彼女のことをどう思っていただろうか。わかっていたことはただ一つ、山口先生はわたしと綾さまをはっきり区別し、けして同等の学友などと扱うことはなかったということ。というよりも山口先生はわたしを見ないようにしていたと言ってもいいくらい、わたしに関心を持っていなかったことは確かだ。だからわたしのほうも心を許さず、お互い綾さまのことをお世話するだけのつながりというだけで、だから何か特に彼女について好意も悪意も抱いていたつもりはない。ただ、彼女はわたしをここに連れてきた張本人であったため、彼女がいなくなったことはわたしにはなんとなく不穏に思えた。そう感じたのはわたしだけではなく、綾さまはかなり落ち込んでいたのだと思う。次の先生は誰が来ても気に入らず追い返したというか会おうともしないくらいで、間に入る総一朗様の用人の多田さんをひどく困らせていたことは間違いない。
この時期から綾さまは内にこもるようになった。笑顔も減り、鎌倉の時の上機嫌でころころ笑う綾さまはもういなかった。わたしは寂しかったが何もできなかった。この頃また少し途絶えていた綾さまの部屋での遊び、修行が再開された。追い詰められたような表情の綾さまに嫌ということなどできなかった。でも、わたしは前以上に嫌でたまらなかった。少しずつその意味することがわかりだしてきたからだ。
山口先生が辞めさせられたその少し後、わたしにも綾さまの縁談の話が漏れ聞こえてきた。鎌倉でも綾さまはずっと、いつまでも嫁になど行かずに鎌倉で暮らしたいなどということを繰り返していた。縁談、嫁入りをけして喜んでいないことは確かだった。その事もこの頃の綾さまの憂鬱の種だったのだと思う。憂鬱なのは綾さまだけではなかった。わたしは綾さまの話し相手、勉強のつきそいのような立場でここに連れてこられただけなのだ。嫁にいってしまわれればわたしはこの家では用無しだ。わたしだけじゃない。この家の使用人のほとんどが暇を出されてしまうだろう。みんなどうなってしまうのだろうか。わたしはあの長屋に帰ってまた辛い暮らしをするのだろうか。戻れるだろうか。一度こんな家で暮らすという贅沢を味わったというのに。鎌倉の別荘で過ごす夏、綺麗な着物、見たこともないような歌留多に双六、そして豊富な本や雑誌、比べ物にならないほど恵まれた朝夕の食事を味わったのに、そして、今までけして得ることができなかったものを見いだせたのに、今更放り出されて、わたしは生きていけるのだろうか。綾さまとわたしは同い年なのに、育ちが違うことで、持つものも辿ってきた道もこれから辿る道もまるで違う。わたしは言わば、運良く恵まれた育ちの綾さまのお溢れに預かっただけ。でもわたしのような貧しい恵まれない家のものがこんな幸運にあずかった時、この幸運を手放すことはどれだけ辛いか誰かわかるだろうか。それに、失うのが怖いのは形のあるもののことばかりじゃないくて、贅沢な暮らしのことだけじゃなくて、むしろそれよりももっと失うことが怖いものもあった。そう、たしかにわたしはいつか失うことはわかっていた。とはいえ、間近に迫ってくるのを感じると、その日が怖くてしかたなかった。本当に手放さなければいけないのだろうか。そうではない選択肢があるとすれば、それは許されることなのだろうか。
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