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木蓮屋敷 8
年明けに綾さまのお嫁入りが決まり、周囲はどことなく慌ただしくなっていったが、綾さまはまずます内にこもり、ほとんど外にも出なくなっていた。わたしもたまに部屋に呼ばれる以外は話すこともなかった。新しい先生はいつかず、家庭教師の選定は放置されたままだった。そして、ある日、綾さまはわたしをまた部屋に呼び、そしてあの秘密を打ち明けた。わたしは、やはりという気持ちと、まさかという気持ちのどちらも同じくらいで、でも間違いなく傷ついていた。薄々はそういうことなのかと推測していないわけではなかったけど、それでも違うと思っていたかった。ひどく混乱したままただ黙って綾さまのお顔を見つめていた。本気なのだろうか。本当にうまくいくとでも思っているのだろうか。綾さまはこう言った。
「いとにとって、けして悪い話ではない」
「誰にも咎められたりはしないから」と。
これが悪い話ではないというのだろうか。綾さまはわかっていない。わたしにとって本当に大事だったのは溢れんばかりの本でも雑誌でも着物でもなく、綾さまがたまに見せてくれる笑顔だったのに。初めてお目にかかった時から、それが全てだったのに。
決行の日は近づいていた。わたしは綾さまの言うことにけして嫌とは言えたためしがないのだ。綾さまはそれをよくご存知だった。わたしが苦手なことや渋ることがあってもいつも綾さまの懇願でわたしが折れることはわかっていたはずだ。いつもそうだったのだから。なのに、こんな辛いことをわたしにさせようとするなんて。そう思うといつの間にかわたしはだんだん綾さまが憎らしくなってきていた。怒りを抑えることができなくなっていた。あの母にも抱いたことがないような激しい怒り、わがままな弟妹にもいだいたことがない憤り。わたしはだんだんそれに支配されるようになっていた。どうやって止めればいいのだろう。大事だったからこそ、裏切られたということに深く傷ついた。一方通行なことは最初からわかっていたはずだったのに。身分も立場も何もかも違い、わたしは金で雇われただけの存在なんだから、こんな怒りを抱くのは間違っている。間違っていても、でも止められない。遊びだという話で始めたことが、いつの間にか逃げられないことに変わっていったこと。綾さまは、わたしが嫌とは言えないことをわかっていてそれを進めていったこと。ずっと一緒にいたいみたいなことを軽々しく言っていたのに、本当にそれを願っていたのはわたしだけだったという惨めさ……傷は怒りに少しずつ姿を変えつつあった。
綾さまが決めたその日が来た。その日はわたしの薮入で、普段はけして帰らないのにこの日は家に帰るつもりだとみんなには伝えてあった。珍しいから二三日ゆっくりしておいでと、たきさんがわたしに言ってくれたことは好都合だった。全ての準備を整え、わたしは誰にも気づかれないように、綾さまの部屋に忍んで行った。これで最後なのだと思うと涙が止まらなかった。わたしはそっと、戸を開けた。指先の震えが止まらない。綾さまは驚いたように振り向いた……
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