しんそうへん

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しんそうへん

 場所は遷移して、喫茶店のなかだった。梅雨のために降り続く雨はいまだに止む気配がない。僕は目前にいる恵美さんに、 「それでは、調査の結果をお伝えします」  と言った。  探偵という属性上、解説パートは聴衆の前で行うものであるという認識が強いけれど、僕たちの場合、調査結果はあくまで依頼人にのみ開示することにしている。真相を知ったところで、煮るなり焼くなりは依頼人次第ということだ。  僕はゆっくりと、声を静めて語り始める。 「まず、密室の状況からお伝えします。恵美さん、アトリエの合鍵は存在しますか?」 「……いえ、ありません。」  僕はうなずく。 「アトリエは事件当時、内側から鍵が閉まっていて、唯一存在するアトリエの鍵は亡くなった圭吾さんが握っていた。アトリエは遮音性・防音性に優れているため、小細工による密室構築は不可能。これはつまり、どういうことか。答えは簡単で、中にいた人物が閉めたんですよ」 「そんな!」  と、唐突に恵美さんは立ち上がる。 「ではあなたは、二人は自殺したと言いたいんですか!」  僕は冷静に「落ち着いてください。そうではありません」と恵美さんをなだめる。「自殺したのは寧子さんだけです」 「しかし、寧子はもう」 「ええ。寧子さんは、圭吾さんを殺害したのちに自殺したのです」 「そんな馬鹿な……」恵美さんの唇が怒りに震えているのが分かる。「ですが、それでは現場を密室にした理由がないでしょう? ただ殺して自殺するなら、密室にする必要はない」 「ですが、彼女は自殺せざるを得なかったんですよ……密室から、脱出する術を失ってね」  僕はスマホの画面を彼女に見せる。 「この作品に見覚えは?」  恵美さんは憤ったままに応える。 「『赤世界象徴』でしょう? 夫の作品です」 「この作品はどこで描かれたものですか?」 「それはもちろん、アトリエです」 「そこなんです」  僕はバックから家の見取り図を取り出した。 「『赤世界象徴』は、F100号という非常に大きなサイズの絵です。縦130センチ、横160センチ」  ここでようやく、僕の言っている意味が伝わったのか、恵美さんが大きく目を見開いた。僕は続ける。 「F100号の絵画は、アトリエのなかには収まっても――床扉に収まらないんですよ」 「で、では夫はどうやって……」 「簡単ですよ」僕は言う。「隠し扉があったんです」 「地下室は玄関の真下に位置していましたね。おそらくそれは、隠し扉から上階にあがり、車か何かで運搬してきた画材を搬入するためのものだったのだと思われます。地下室前の廊下の存在も、帳尻を合わせるためのものでしょう。恵美さんも知らないようですから、もしかしたら内密の通路だったのかもしれません」  けれどそれに寧子さんは気付いていた。 「寧子さんはまず圭吾さんを殺害する。そしてアトリエの鍵を締め、その隠し扉から逃げようとした。けれどそのとき、土砂崩れが起こった。そして、そのせいで隠し扉があかなくなってしまったんです。さらには土砂崩れ時の轟音で家族が起きてしまった。寧子さんは焦ったことでしょう。そこで寧子さんは最期の手段、殺人に見える自殺を図ったのです――すなわち、死後硬直によって固定された圭吾さんの手に凶器のナイフを握らせ、そのうえに背中から飛び乗った。背中を刺された死体を見て、誰も自殺だとは考えないでしょう」  こうして、密室のなかにふたりの遺体、という構図ができあがったのです。  僕は一通りの解説を終えると、静かに恵美さんの反応を待った。  沈黙のなかで、雨の音だけが響いていた。
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