0人が本棚に入れています
本棚に追加
そうしんへん
白の螺旋階段。
僕はぐるりと、弧を描くように上がっていく。最上階、そこに唯一存在する部屋の扉を、二回・三回・一回・二回の順番でノックした。ややあって、中からどたばたと足音を鳴らしながら、その女性がやってきた。
「やあやあ、しょうくん。元気だったかい」
頭五つ分ほど背の低い彼女のことを見下ろして、僕は少女の名を呟く。
「……カガ姉ぇ」
姉だった。
「うむ。カガ姉だよ。さあさ、あがってあがって」
カガ姉に案内されるがままに、僕は姉の部屋に入っていく。姉の部屋には白猫が一匹と、パソコン一式以外にはほとんど何もなかった。
きっと、ここは梅雨のじめじめとした感覚とは無縁なんだろう。
「イータ、椅子を用意して」
とカガ姉が言うと、途端に床を滑るようにしてマニピュレータが椅子を運んできた。長居するつもりはないから椅子は要らないと断ると、カガ姉は露骨に不貞腐れた表情を見せる。仕方がない、と僕はあとで出す予定だったお土産をカガ姉に手渡した。
「はい」
「あれっ、こっこプレーンじゃないか! 静岡県の名産品!」
もろ手を挙げて飛びついてきたカガ姉を左手で制し、右手で彼女に届かないくらいの高さに持ち上げた。危ない危ない。ここで食べられてしまっては、用意してきた意味がなくなってしまう。
「おわーっ! はやく食べさせてーっ!」
「ダメ。おやつは依頼のあとだよ」
「ええーっ!」
不満げなヤギみたいな顔をするカガ姉。面白い顔だ。僕は即座に撮影して、スマホのホーム画面の壁紙にした。
「やめてよ!」
「やだ」
「ぶすん!」
「なんの音?」
姉はやれやれ、仕方がない……と溜息まじりにふらりと揺れると、そのままマニピュレータが用意してくれた椅子に勢いよく腰かける。そして伏し目がちに僕が手渡したメモ帳に目を通した。
「……へえ、六月に殺人事件の依頼とは珍しいね」
「カガ姉もそう思う?」
僕は窓からその町――視界市の全貌を眺めながらそう尋ねる。背後にはカガ姉の鼻息の音とメモ帳をめくる音だけが聞こえていた。いつの間にかやってきていたマニピュレータがコーヒーを差し出す。僕は礼を言ってそれを受け取った。
一口飲むころ、ようやくカガ姉は返答する。
「だって、梅雨の時期って不倫調査の依頼ばっかりじゃん」
「……だよね」
およそ梅雨と言う時期は、雨粒という人間にとってほとんど害しかないものが大量に降ってくる季節なので、必然的に、人間の外出も少なくなっていく――つまり、外出する人間が目立つようになるのである。
通常時ならば目につかないような配偶者の外出が、なぜか不自然なものに見え始める。
そういう小さな違和感から、不倫というものは案外簡単に予測されてしまう。予測は不安になり、不安はやがて恐怖になる。恐怖は焦燥を生み、それはさらなる不安をあおるのだ。不安に包まれた人間がとる選択肢はふたつである。
不安を無視するか。
不安を解消するか。
そういう、後者を選択した人間であふれかえるのだ――六月の探偵事務所は。
だから必然的に、殺人事件の担当をすることそのものが少ないと言える。木更津悠也のように選り好みできないのだ。
もっとも、今回のような、ミステリチックな事件のほうが、カガ姉の性に合ってはいるのだけれど。
「ふむ――サイズ、だね」
と、僕のメモ帳を読み終えたカガ姉はそう呟いた。
「サイズ?」
「うん。それがヒントかな。ええと、そうだなあ――じゃあ翔太には、四つほど用意してもらおいかな」
カガ姉は椅子のうえにあぐらをかきながら続ける。
「①家の見取り図
②床扉・地下室までの通路・地下室の写真
③事件当時のアリバイ状況
これさえあればひとまず犯人は特定できるだろうね」
「犯人の特定まで?」
思わず僕は訊き返す。カガ姉は表情を変えずにうなずく。
「クローズドサークル下の密室殺人というものは、結構簡単な部類なんだよ。犯人の特定を目標にするのであれば、クローズドサークルではない状況で、密室ではない状況で発生する、きわめてオープンな状況の犯罪の方が難易度が高い。容疑者が絞り込めてしまっている時点で、密室状況なんてものは愚策でしかない」
「愚策、ねえ」
まあ、確かにその通りなのかもしれない。
「ん? でもそうなると、四つ目はどうなるの?」
僕の質問に、カガ姉はにやりと笑う。
「④は――」
土砂崩れの規模だ。
最初のコメントを投稿しよう!