常闇の光芒

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常闇の光芒

「今日も降らなそうだな……」  どんよりとした雲に覆われた空を見上げながら、僕は一人、ポツリと小さく声を漏らした。  今まで一度だって天気のことなど気にしたことはなかったというのに、この二週間程、毎日のように空を見上げるのが日課になっている。というのも、それほどに雨が降ることを待ち望んでいるからだった。  こんなにも何かに対して心を動かされたのは、一体いつ振りのことだろうか──。僕の記憶する限りでは、小学校の低学年以来のような気がする。  ニつ下の弟が小学校に入学してからというもの、両親の関心は優秀な弟へと向けられると、僕はまるで最初からそこに存在しなかったかのように扱われた。  高学歴で美男美女としても羨望の的であった両親達にとって、その血筋を色濃く受け継いだ弟はさぞや自慢の息子だったのだろう。対して、特に秀でた容姿や頭脳を持ち合わせていなかった僕は、完璧な両親達の唯一の汚点ともいえた。  まるで空気かのように、誰からもその存在を認識されることのなかった僕。それは家庭内や親族達の間だけではなく、学園生活においても同様だった。  それでも時折、そんな僕にも関心を寄せる人達は少数いた。けれど、それはお世辞にも好意的なものと言えるような態度ではなく、僕にしてみればただの苦痛でしかなかった。  そんな日常がこれから先もずっと、変わらずに続いてゆくものだと思っていたある日。ずぶ濡れの僕に向けて傘を差し出した彼女は、穏やかな笑みを浮かべると口を開いた。 「よかったらコレ、使って」 「……っ、で、でも……」 「前にね、忘れて帰っちゃったの。傘さしてるのに、余った傘まで手に持ってるなんて可笑しいでしょ? だから気にしなくていいよ」  少し照れ臭そうに微笑んだ彼女の笑顔はとても眩しく、まるで永久(とこしえ)に続く闇路(やみじ)を照らし出す一筋の光芒(こうぼう)かに思えた。 「傘立てに返しておいてくれればいいから。風邪ひかないようにね」  そう言って僕の手に傘を握らせると、「ばいばい」と告げてその場を立ち去ってしまった彼女。そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、僕は沸き立つ想いにブルリと身体を震わせた。  モノクロだった世界が途端に色づいてゆくような感覚に、戸惑いながらも、けれど、それ以上にとても心地がよいものだった。 (見つけてくれた……っ、彼女だけが、僕を見つけてくれたんだ──)  溢れ出る嬉しさから薄っすらと笑みを浮かべると、僕は手渡された傘をギュッと胸元で抱きしめた。 ────── ────  ──翌る日の放課後。人も(まばら)な昇降口で静かに佇む僕は、その手に握られている傘を切なげに見つめた。  どうにか直接返そうと放課後まで粘ってはみたものの、彼女に話し掛ける勇気はなかった。せっかく出来た彼女との接点も、この傘を返してしまえばそれまでなのだろうか。そう考えると、ツキリと鈍い痛みが左胸を走る。  けれど、このまま粘り続けたところで声を掛ける勇気が出るとも思えない。言われた通りに傘立てに返却しておくしかないのだ。 (……大丈夫。きっと、彼女なら何度だって僕に気付いてくれるはずだから)  そんな確かな自信を胸に傘立てに傘を入れると、柄の部分に飾られた小さな鈴が「チリン」と可愛らしい音を響かせた。まるでそれは僕の気持ちに呼応するかのようなタイミングで、嬉しさから頬を赤く染めた僕は、薄っすらと微笑むとその場を後にした。  けれど、それから一週間経っても彼女からのリアクションは何もなかった。それどころか、同じクラスだというのに目すら合わない。おかしい。何で彼女は僕の存在に気付いてくれないのだろうか。  五日程前に、プレゼントとして傘の上に添えた花束は枯れ落ち、一週間前と変わらぬ場所で、今も静かに存在し続けている彼女の傘。どうやら彼女は、返却された傘の存在にすら気付いていないらしい。それならきっと、雨が降ればもう一度僕に気付いてくれるはず──。  それからというもの、僕は再び雨が降ることをひたすらに待ち続けた。柄にもなく、昨夜は“逆さてるてる坊主”なんてものまで作ってはみたものの、それでもやはり雨は降りそうにない。どうやら、これではまだ数が足りなかったようだ。  それでも、昨日まではカラリと晴れていた空が曇っているところを見ると、てるてる坊主の効果はちゃんと効いているようだった。 「やっぱり、まだ足りないんだ……」  窓枠に吊るされた三体の“逆さてるてる坊主”を眺めながら、僕はポツリと小さな声を漏らした。  あと二体で足りるだろうか? そんなことを考えながらも、重い鞄をゴトリと響かせて肩に背負った僕は、てるてる坊主の制作に取り掛かる為に高校へと向かった。  まだ登校前ということもあって、朝練に励む声が遠くの方から聞こえてくること以外、いつも騒がしい教室はとても静かなものだった。  そんな中、ゴリッ、グヂュッ、と不穏な音を響かせながら、僕は一心不乱に“逆さてるてる坊主”の制作に取り掛かっていた。  予め呼び出しておいたことでスムーズに事は運んだものの、こうなる前も後も、相変わらず僕にとって不愉快な音ばかりを上げる。けれど、もう二度と罵詈雑言を浴びせられることはないだろう。  自宅にある三体の“逆さてるてる坊主”を思い浮かべながら、僕は誰もいない教室の中でニッコリと微笑んだ。 「これでやっと、五体だ」  期待に満ちた瞳で空を見上げると、今し方吊るしたばかりの“逆さてるてる坊主”から、滴るようにしてポタリと赤い雫が流れ落ちた。  それと重なるようにして、曇り空の隙間からポツリ、ポツリ、と待ち望んでいた雨が降り始めたことに気付くと、僕は歓喜に震える身体のまま満面の笑顔を浮かべた。 「「キャァァアーーッ!!!?」」  突然鳴り響いた絶叫にゆっくりと背後を振り返ってみると、そこには腰を抜かして倒れ込んでいる女子生徒達がいた。いつの間にか登校する時刻になっていたようで、続々と教室に集まり始めた生徒達。  泣き叫ぶ人や嘔吐(えず)き騒めく声が響く中、僕はそんなものに目をくれることもなく彼女の姿を探した。 「────!」    彼女と目が合った瞬間、痺れるような感覚が全身を駆け巡ると、僕は血に濡れた頬を紅潮させた。  やはり僕の考えは正しかったようで、雨さえ降れば彼女は僕を見つけることができるらしい。そうと分かれば、このままずっと雨を降らせ続ければいいだけ。大丈夫。まだ、こんなにも沢山の“逆さてるてる坊主”の材料はあるのだから──。  僕は彼女の周りにいる有象無象に視線を向けると、誰に聞かせるでもない小さな声を響かせた。 「ふれふれ坊~主、ふれ坊主~明日雨にしておくれ~」  僕は握っていた斧を胸元に抱きしめると、恍惚とした笑顔を浮かべながら頬を寄せた。  やっと手にしたこの幸せは、絶対に手放すつもりはない。彼女は、常闇に沈んだ僕を救い出してくれる、たった一つの光芒なのだから。 ─完─
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