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役場の職員のいいところは土日がしっかり休めるところ、のはずだったんだ。
はずだったのに。
今頃は優雅に惰眠を貪ろうと思っていたのに。
目の前には山、そして、野球場。手にはグローブ。
「今日こそは、隣町に勝つぞ!」と、意気込む課長たちの中に、頭一つ分出ている奴がいる。言うまでもなく兵馬だった。
役場対抗の草野球大会に駆り出された日曜日。梅雨時だったからどうせ中止になるだろうと名前だけ貸すつもりが、しっかりと晴れてしまった。
「廣井君が珍しく参加してくれるって、町長が喜んでいたよ。」と、唯一の同期の古河っちが隣でこそっと教えてくれた。
そういえば俺の名前は廣井藍。みんな下の名前で呼んでくるので、苗字を呼ぶのは古河っちくらいだった。俺じゃなくても、だいたいの人のことを苗字呼びするのが古河っちだ。
気配り上手で優しい古河っちは秘書としていつも町長についている。こんな田舎の町の町長に秘書なんて要らないと思うが、なんでもやりたがりで目立ちたがりの町長をうまくまるめこめる人物が必要なんだそうだ。
同期と言っても、俺は高卒で、古河っちは大卒で入っているから年齢は上である。最初はさん付けで呼んでいたが、固っ苦しいから呼び捨てでいいよと言われ、でも年上を呼び捨てにすることなんかできなくて、考えた挙句『っち』と付けることにした。兵馬もそれを真似ている。
「で、なんで、兵馬もいるんだ?」
開会式が終わり、地元のちびっ子たちの応援合戦が始まったところで声をかけた。なんで、この町は応援合戦を試合前にするんだろう。
「助っ人枠。」
「外国人選手かよ。」
「もうほぼ、職員でしょって言われて。」
「誰に?」
「あそこで一番前でビデオ回している人。」
兵馬が指をさす場所を目で追うと、応援合戦の真ん前に陣取っている人物が目に入った。
「小夏!カッコいいぞ!もっとこっち向いて!」と、自作のユニフォームを着た町長が愛息子に叫んでいる姿だった。
「あー。」
「断れないだろ?」
「いや、一度強く言っとかないと図に乗るぞ、あの人は。」
「いいよ、どうせ、藍もいるだろうなと思ったから。」
「あー、普段はあんまりこういうの参加しないぞ。」
「俺だって、藍がいないと参加していなかったよ。」
ふーんと興味なさそうに相槌を打った。兵馬もこれ以上は何も言わなかった。
梅雨の晴れ間の遮るものが何もないまっさらな空の下で、穴に埋まりたい衝動に駆られていた。
(なんで、こいつは、こう言うことが言えちゃうんだろうか。)
「あれ、廣井君、顔赤いよ、もしかして熱中症?」みんなにゼッケンを配っていた古河がこっちに来た。
「いや、これは違くて。」
顔が赤いのを間違われてしまった。
「え、藍、熱中症になったのか。休んどけよ、いや、病院か?」と、兵馬も慌てる。
「大丈夫だから、俺、すぐバッターまわってくるから素振り行ってくる」
病気でも何でもないのに心配されてますます恥ずかしくなった。
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