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まあ、少なくとも。とわたしは昼間の賑やかさに紛れて次第に薄らぎつつある昨夜の記憶を思い起こして自分に言い聞かせた。
万が一にも、あれが本当のことなんだったら。確か明日は別の子に同じことをするって話してたはず。つまりはあれがお客様方の手による『審査』であって、研修を受ける女の子一人ひとりの身体を検める手順である。って設定らしいので。
あれが本当の現実であるならわたしの他の誰かも今夜同じ目に遭うんだって考えるのが、まあ正しい成り行きだろう。果たして明日の朝、あと三人のうちの誰かがショックで様子が変わってたりしたら、やっぱりあれは夢じゃなかった。…ってことに。なるのかな…。
だけど、残念ながらというかまあ当たり前というか。翌朝もそのさらに翌朝も、誰一人表情や態度に変化があったり。悪戯された衝撃で見るからに精神がおかしくなってたりする子は結局現れなかった。
みんな相変わらず、わたしがここでは一番。いやわたしが。と微妙にじりじりと前に出たり牽制し合ったり。と思えばお互いライバルだなんてことはけろりと忘れてしょうもないことで馬鹿みたいに笑い合ったり、いつもと変わらない昔馴染みの友達たちだ。…何かと絡んでくる態度のめんどくさい一人を除いての話だが。
次第にわたしは、あれは例えば心霊現象の一種みたいなものなのかな。と漠然と考えるようになっていった。
ここで働いてる女性の誰かが過去に経験したことの記憶。生霊だか死霊だかわからないけど、その残留思念とかがあの部屋に強く残ってて、研修が始まって間もない状態のわたしに感応してそれを追体験させたのかも。
身動きも全くできないほどの金縛りとか。現実としか思えない異様にリアルな臨場感とかは、普通の夢じゃあり得なかった。あれは話に聞く霊現象ってやつに近いんじゃないか?…と考えると。少し納得が行くような気がする。
それで腑に落ちると同時に、もしあれが過去の誰かの記憶なら。やっぱりわたしは絶対にサルーンのメンバーにはなりたくないな、と密かに思いを新たにした。
意外と結構気持ちよかった。…なんて呑気な感想が出てくるのは、あれが実際の体験じゃないとわかってるから。本当に同じことを生身の相手から自分がやられてたら…とちょっとでも想像すると、やっぱりおぞましさで吐きそうになる。
実在しない想像上の誰かにされたと想定してるから内心では案外よかった、なんて平気で言ってられるわけで。現実であれを誰かにして欲しい、なんてかけらも考えられない。
あれが仮に過去の女性の記憶なら、わたしもサルーンで働けば同じことをやられる可能性があるわけだ。そう考えたら、選ばれたらそれはそれで腹を括って引き受けなきゃならないんだよな。と半ばは覚悟して研修に臨んでたはずの気持ちが怯んで萎える。
相手を選ばず身体を許して不特定多数の男性を受け入れて。次々とたくさんの子どもを産まなきゃならない、っていうのはああいうことなんだ。…と否応なくリアルな現実を突きつけられた気がした。わたしには無理、やっぱり。
名誉だの誇らしいだのと持ち上げられてもごまかしきれない、集落の中の誰かしらが引き受けなきゃならない汚れ仕事。っていう実感が確かにそこにはあった。
過去の女性の残留思念か何かは、それをありありとわたしに教えてくれたわけだ。
厳しい現実を知らない若者に対する忠告というか、アドバイスみたいなものか。とありがたく受け取ることにして、わたしは残りの研修期間を、目立たず無難に他人の後ろに半ば隠れるようにして大人しくやり過ごすことに決めた。
…まあ、そんな風にしなくてもどのみちわたしみたいなもんがこの中から選ばれるかも。なんてさすがに自惚れてはいなかったし。
勝ち誇った同期の某友人に、やっぱりねぇ。あんたみたいな冴えない気の利かない子には所詮このポジションは無理よ、とかその後も何かとねちねちいびられる羽目にはなったけど。
結果最終的にサルーンに抜擢されずに終わったこと自体は今でもまるで後悔はしてないし。実際に選ばれてあそこで働いてる菜由やちえりちゃんは、特に仕事が嫌だとかつらいとは思わずにしっかりやり甲斐を感じてるみたいだから、もちろん感じ方は人による。
つまり結局、人間には向き不向きがある。…ってごく当たり前の結論に落ち着くんじゃないだろうか、結果論としては。
彼女たちはわたしと違って向いてるから。と片付けてしまっていいのか、内心少し引っかかってる部分がないことはない。
特にちえりちゃんの方は、どうやら本人も無意識にかもしれないけど。表に出せないストレスや納得し切れてないもやもやが全然ないとは言えないのかも、とさっきの会話でちょっと心配にはなったのは確かだ。
だけど、そうは言っても。そのことで一体わたしに何が出来るだろう。
きつくて大変だけど集落の誰かが絶対に引き受けなきゃいけない仕事を、名誉や報酬や周囲からの羨望を代償に引き受けてもらう。ってのは別に間違った解決法とは言えない。
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