深夜のバス停

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 深夜、僕は図書館から借りたDVDの白黒映画を見終えて、ベッドにもぐりこんだ。しかし目が冴えて眠れない。  退職して数か月が過ぎたが、不眠症は治る様子がない。将来が不透明で不安だからなのだろう。ハローワークには定期的に通っているものの、仕事はなかなか決まらなかった。    どうやって、僕は働いていたのだったか? 記憶が薄れていっている塾講師の正社員時代を振り返る。    一年間勤めたが、僕に好感を持ってくれた生徒はいなかっただろう。    彼らの親に至っては、成績のあがらない我が子と高い学費を考えて、許せないと憤りさえ感じていたかもしれない。分かりやすい授業を行い、生徒を楽しませることのできる立派な講師には、僕はなれなかった。    塾には僕のほかに塾長と事務員がいて、計三名の正社員がいた。加えて十名のアルバイト講師で、小・中・高校生の勉強の面倒を見ていた。    アルバイト講師らは大体が有名大学に通う学生だったが、中には高校で非常勤をしている四十代の女性や、司法試験を長年受けている男性など変わった履歴を持つ者もいた。    僕は正社員として講師達のスケジュールを組んでいた。  塾講師の経験もなく、かといってアルバイトに悩みを吐露する訳にもいかず、なかなか仕事に慣れない。    でも、僕が不眠症になった原因は塾長であるベテラン社員だった。  塾の広告紙を日中に数百部印刷し、歩き回って家庭のポストに入れる。塾に戻り、生徒の親から講師への苦情電話を受けて、上司である彼に報告する。  すると塾経営の精神論と、八つ当たりに近い説教を一時間以上受ける。    気力の限界だった。僕は心療内科で鬱病の診断を受け、塾長に退職願を出した。 「君は生徒の受験が終わる一年間は責任を持って働くべきだろ! 生徒に関わって一区切りもつけずに、放りだすのは無責任極まる」  激高した彼の言葉を受けて、生徒の受験終了までは青息吐息で仕事を続けた。だが次第に笑顔の作り方が分からなくなり、趣味の映画を見ても心は震えず、涙もでない。  おそらく枯れ果てたのだろう。  そして、退職後の不眠症だ。    深夜、眠れずに外をぶらつく。近所の公園やコンビニ、駅前付近など。  その日の夜は缶コーヒーを買って、バス停のベンチに座っていた。もうこの時間に来るバスはない。気兼ねなくベンチでぼうっと景色を眺める。たまに通り過ぎる車のヘッドライトが眩しかった。  一台の車が、ゆっくりとした速度で目の前を通った。  真剣な面持ちをした父親がハンドルを握り、後部座席にチャイルドシートが載せてある。そこに赤ん坊がいた。大きく口を開けて、小さな手で握りこぶしを作っていた。叫んでいる!    こんな時間にどこに行くのか。いや、目的地は無いのだ。  夜泣きする赤ん坊をドライブに連れていくと、エンジン音と振動を母親の体内のように感じ、眠りにつくと聞いたことがある。おそらくその寝かしつけの最中だったのではないか。  慎重に運転をする父親をしりめに小さな手を固く握り、顔を赤くして泣き叫ぶ。  脳裏に焼きついた赤ん坊の姿が、僕の心に何かを投じた。産まれたばかりでも、こんなに生きる主張を……驚いたことに僕の頬を、涙が伝っていた。
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