夜と昼に住む僕ら。

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 町というものは昼と夜で大きく姿を変えるものだ。特に夏という季節では特に。昼には煩わしいと思うほどに鳴き声を響き渡らせていた蝉たちは、夜にはすっかりその声と共に姿を隠してしまう。同じく昼の間地面と生き物たちをジリジリと焼いていた太陽も鳴りを潜めて、月が代わりに優しく地面を冷やしている。まるで、夏の間は昼と夜でそれぞれ別々に町が存在しているようだ。  僕は、そんな夏の夜の町を一人で歩くのが好きだ。誰もが寝静まった真夜中、家族が出張で居ない日。僕はこっそり町に迷い込む。夜の町は来るものを拒まない。  風が優しく僕の頬を撫でていく。月明りに照らされて、車の一台も通る気配がない道路の真ん中を歩く。世界を独り占めしているような、けれども独りぼっちになってしまったような不思議な感覚に酔う。今日は駅の近くまで行ってみようか。駅の近くのバス停で集会を開いている猫たちにでも会いに行こう。今までふらりふらりとしていた足取りは、行先が決まった途端しっかりとしたものになって。夜の町の深みへと進んでいった。  バス停の前で集会をしている猫たちに軽く挨拶をする。いい夜だねとか、今日の議題は何?とか。そんな感じに猫と戯れていると珍しい来客があった。 「子供がこんな時間までなにしてるの~。よい子は寝てる時間じゃないの。」 現れたのは足取りがかなり怪しい女性だった。酔っているのだろうか。暗くてその顔色ははっきりとはわからないが恐らく真っ赤だろう。ここに居たのを見られてしまったのは少し、いや大分面倒くさい。歩道なんてされてしまったら真っ先に親に連絡がいくだろう。そうなってしまったら僕はこれからこの町に来れなくなってしまう。それだけは避けたい。だから僕は一芝居打つことにした。 「僕もう成人してるんですよ。飲みに行った帰りで。」 最後の一言は余計だっただろうか。女性はこちらに疑惑の目を向けている。 「その割にはアルコールのにおいがしないけど。本当に飲んできたの?」 返す言葉がなくどうしようと悩んでいるとそこにさらなる来客があった。 「こんな時間に何してるんだ君達。」 警察だった。本格的にまずい。このままでは歩道だけでは済まないかもしれないと焦っていると不意に女性が僕の手を取って、 「この子甥っ子なんです。親戚で集まって飲んでたんですけど、姉にこの子家に連れてくように頼まれちゃって。散歩しながらゆっくり帰ってたんです。」 ね。と言われて頷く。何から何まで嘘でしかないけれど不思議とバレないような気がした。 「そうでしたか。暗いですから気を付けて帰ってくださいね。特にお姉さん酔ってますから。坊主、ちゃんと見ててやるんだぞ。」 それでは。と警察はさっさと夜の暗がりに消えて行ってしまった。 「散歩して帰ろうか。」 夜がくれた不思議な出会いはもう少しだけ続くようだ。  手を取られるがままに歩いていると、気づけば駅からは得か慣れて、道路の両脇に水田が広がる、街灯の少ない場所に来ていた。 「焦ったね。こんな時間まで巡回してるなんて、案外気が抜けないもんだ。」 そういいながら一つ伸びをする彼女は先程よりアルコールが抜けているようで足取りがしっかりしていた。 「なんで助けたんですか。あのまま放っておけば貴方は警察に嘘をつかなくて済んだし、不良少年は補導されて終わったのに。」 自分の行動に誰かを巻き込んでしまったという罪悪感は、夜の間見えないはずの影と一緒に僕の足に貼りついて離れない。今までなんとも思っていなかった夜の暗がりが急に怖くなった。 「光があれば影ができるように、昼の町があれば夜の町がある。なら、人間も昼と夜、両方別々に存在してもいいはず。」 星空を眺めながら淡々と彼女は話し続ける。 「子供は昼にしか存在しちゃいけないなんてそんなのは不平等だ。夜は来る者を拒まない。だから夜に存在する私達も来る者を拒まない。」 詩的な表現を紡ぎ切った彼女の瞳には星が移り住んでいた。  夜は来る者を拒まない。数分前まで僕自身が考えていたことなのに恐るべし来客のせいですっかり頭から抜け出てしまったようだ。そもそも同じ考えの人がいると思わなかった。 「昼と夜はまるで鏡合わせみたいだと思う。こっち側にも自分がいて、向こう側にも自分がいる。だけど、どっちも自分であって自分じゃない。だって昼と夜、別々の世界に住んでいるのだから。 「その考え、大切にしてね。」 知らず知らずのうちに声に出ていたようだ。  夜に住む僕達は、その後も話をした。あの景色がきれいだとかあそこの猫は実は家族なんだとか。それでも決して昼の話はしなかった。今話している僕たちは夜の僕たちだから。  太陽が空の上でまぶしく輝いている。近所の人たちが家の前に出てきては猫みたいに会議を始めている。その横をするりと通り、大通りに出る。そこには夜の僕が出会ったあの女性がいた。お互いに名前も歳も何も知らない。  僕は話しかけなかった。だって、僕は昼の僕だから。彼女のことは知らないし、会ったこともない。それでも。何かの拍子に話しかけられたのなら。僕らは夜と同じように話すのだろう。昼と夜、両方に存在している僕らだからこそ。  今日の夜はどこへ散歩に行こうかな。
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