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市内の中心、街の中で最も人の行き交いがあるとすれば南に10分程度歩いたら到着する飲み屋街か駅前になる。
ホームを抜ければヤシの木を囲むようにそびえるビルの群れを人に人に人はザワザワと縫っていく。その喧騒を冷静に見下ろすようにそのバーはあった。
夜景が綺麗だったという話を同僚にしてみれば、「もしかしたら駅前のここではないですか?」と言われ向かったバー。アニメグッズ専門店が丸ごと移転してしまい、美容院か蕎麦屋、カレー屋くらいしか行くあても無くなってしまっていた古い商店街、エレベーターで10階まで上がった先。
(古いバーだな)
年季が入った木のドアを押して開けると、カウンター席がようやっと片手の指で足らないくらい。2つ数えれば終わるくらいのテーブル席といった小ぢんまりとした店である。
「いらっしゃい」
来るのが開店すぐだったせいか誰も客はいない。初老の店主に軽く頭を下げながら、壁一面に張り尽くされた窓を見るとようやく外が暗くなっている。いまだ息をするビルの灯りと、その間を流れる血液のように行き交う車や人に殆ど明度を失った青系色のコントラストが美しかった。
カウンター席に座る。カクテルはあまり飲まないから分からないのだが、ロングアイランドアイスティーを頼んだのは昨晩のアールグレイが失敗作だった事に対する当てつけだったのかもしれない。
カクテルが出されても、辰実はメニューを眺め続けていた。
「今日はチーズとかお勧めです」
「チョコレートケーキの気分なんですよ」
「そんな洒落たものはウチじゃ出してませんね」
「…妻が小さいときにここに来て食べたと聞いたんですが、こちらの勘違いでしたか」
「小さいときの記憶なんて曖昧なモノです」
店主も落ち着き払った様子で、辰実も持ち合わせた不愛想で、会話は進んでいくも2人の間には他人であるからこその一定の距離感があった。パーソナルスペース、これくらいの感覚が居心地が良い。
ようやく口にしたカクテルに、更に注文したピスタチオを挟みながら辰実は店主と話をする。確かにチョコレートケーキなんて居酒屋くらいでしか見た事が無い。思い違いだろうと決めたくなるが、どうしても愛結がそこだけハッキリと記憶していた事が気にかかった。
「実は2年前に結婚したのに義理の父と話ができていなくて」
「それは何か事情があっての事で?」
「そもそも14年か15年くらい前に亡くなっていますので」
どんな方だったのですか?と店主が聞いたのは考えが無くの事だろう。
「銀行員だったそうです。娘の小さい時から、1人娘が起きるより先に仕事に行き、寝るより後に帰ってくる。その娘が心も見た目も、誰よりも美しく成ったというのに見える事ができないのが残念で仕方ありません。」
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