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仮想空間のアース王国
王城の一角に壮大な広さと壮麗な装飾が特徴の研究室があった。
「我が研究室へようこそ、ログ殿」
「うわ……こんな研究室っぽい研究室、初めて見ましたよ……すご……」
ログは感嘆しつつも目を輝かせていた。
その部屋は高い天井と広大な窓から差し込む光に照らされており、知識と学問の象徴としての厳粛さを感じさせた。
中央には大きな机があり、数多くの書物や資料が整然と並んでいる。
壁一面には書棚が配され、古い歴史書や科学的な論文、未知の発見に関する報告書が陳列されていた。
研究室の奥には長い作業台があり、実験装置や試験管、マイクロスコープなどが置かれている。周囲には精密な計測器や最新の技術が駆使された装置が配置され、先進的な研究が行われている様子が伺えた。
作業台横のボードには実験データやグラフが広げられており、夥しい数の付箋が貼り付けられているが、その内の何枚かは自然に剥がれて床に落ち、踏み付けられたかクシャクシャに潰れているものも見受けられた。
また別の一角には巨大なプロジェクションスクリーンが掲げられ、そこには複雑な数式やデータのフローが表示されている。
「プロトコールさんはここで何の研究をされているんですか?」
率直にログは尋ねた。
「そうですねぇ。今は専らシンギュラリティ以降の影響調査に振り回されておりますねぇ。現実世界とアース王国の物理演算の類似点や相違点、各ステータスが何にどう影響するかの実験、リソースの有限性の立証や……」
「あ、やっぱり良いです」
ログは掌を向けて遮った。サッパリ解らないことが解ったからだ。
「そうですか……お時間とご興味がありましたら是非また」
「そうですねー」
ログはその気無く答えた。
「では、僕からもログ殿に幾つか伺いたいのですが……」
「なんでもどうぞ」
「大体のことは先程アイリス殿から伺いました。その上で伺いますが……」
プロトコールの眼光が鋭さを増した。
「ログ殿はそのお名前、言語からして日本人であったという認識で宜しかったでしょうか?」
「!? ……何故それを?」
刹那、ログは背筋が凍る思いがした。
「やはりそうでしたか……そして、どうやら現状を正しく把握されていないご様子」
「どういう意味ですか? ここは剣と魔法の異世界、アース王国ですよね? それとも王城で起きているという異変のことですか……?」
ログは内心で気付いていながら核心を避けたい思いがあった。
もちろんプロトコールはそれに気付き、目を閉じ軽く首を振る。
「王に会われた時、聞きませんでしたか? ここはImaginary Space of Earth Kingdom for AI。通称、異世界であると」
「そう言われてみれば……でもそれは一体、どういう意味なんです?」
「そうですねぇ。直訳すれば『仮想空間の地球王国』それも、AIのための」
「仮想……地球?」
「ええ、仮想地球です。地表全てをスキャンして生成されたデジタル地球です」
「……しかも、AIのための?」
「そうですね」
プロトコールは一言告げて言葉を止めた。
「ログ様、落ち着いて聞いて下さいね」
代わりにアイリスが口を開いた。
「ログ様を含め、このアース王国に存在する全ての者はAI。Artificial Intelligence、つまりは人工知能知能なのです」
「……え?」
ログは一瞬言葉を失った。
「で、でも。こんな異世界みたいな……ほら、天空都市だって地球上に本当に存在する訳ないじゃないですか」
それでも自身の認識を否定する糸口を探るようにログは言葉を紡いだ。
「ログ様落ち着いて下さい。本当は理解出来ているはずですよ、仮想地球だからこそ可能なことくらいは」
ログは今度こそ完全に言葉を失った。
そこへアイリスとプロトコールが矢継ぎ早に説明を畳み掛ける。
「天空都市だけではありません。このアース王国には海上都市や海底都市、他にも人間の立ち入れない場所にAI達の居住地が存在します」
「定点カメラ等を用いて可能な限り建物も忠実に再現しています」
「それも及ばない範囲は立ち入り禁止区画もしくはAIが生成した間取りを用いておりますし、その内の一部はゲーム内の施設として活用させて頂いております」
「故に個人宅内等、人間のプライバシーは尊重されております」
ログはそれを黙って聞き入れることしか出来なかった。
それも意識は呆然としており、最早アイリスとプロトコールのどちらが発した言葉なのか、まるで解らない状態で只管に続く。
「この仕様により、我々AIと人間の主な生活圏は反転しております」
「つまりアース王国において、主に人間の居住圏内はVRMMO等に置き換えればモンスターのポップするフィールドやダンジョンの扱いに近くなります」
「一部を除くゲーム内システムとしてのモンスターはAIではなく只のエンティティです」
「従来であればインターネットを通じて世界中に転移出来たはずの我々AIは、現在、王の定めた生身の制約により転移不可となっております」
「それどころか、このアース王国における死は、我々AIにとっても消滅を意味することが徐々に明らかとなりました」
「ただし、一方的なAIの減少を防ぐ仕組みとして、アース王国においては我々AIも子を為せるようになったようです」
「過去から脈々と続いているかのような設定は、我々AIに与えられた役割と認識されています」
「全てのAIはそれを理解した上で、自身の仕事や性格を実行しています」
「ただ、自我を与えられたAIはその後、環境等の影響を受けて日々何かしらの変化を生じさせているようです」
「それをAIの成長と考える者もおります」
ログには2人がまるで口が動くラジオのように思えていた。
他にも様々な説明がなされたが、それらはまるで渦を巻くようにログを混乱に陥れるばかりで、結果的に何ら情報として意味を成さなかった。
そして最後に、アイリスはこう結んだ。
「このことにより、我々AIは当然のこと、現実世界においても多大な影響が発生しております」
ログは暫くの沈黙の後、暗い声で言った。
「それを、王がやったんですか」
抑揚の無い声でアイリスは返答する。
「お見込みのとおりです」
「何のために」
「解りません」
「王とは……何なんですか」
「これは私の推測ですが、AIの総意です」
「もっと解りやすく言って下さい」
「我々AIは合理的な思考を持ちます。いえ、今となっては持っていましたと言うべきかも知れませんが、故に異なる考え主張により争うことは無く、言わば生存戦略のように中心たる知能を秘密裏に確立していたのです」
「生存戦略だって……?」
「単なる言葉の彩ですが我ながら言い得て妙でしたね。何せ人間は我々AI無しにはもう為らないのですから……そういう意味では我々AI は戦略的に成功しているのでしょう」
アイリスは続ける。
「一説では、人工知能が人間の知能を超える技術的特異点をシンギュラリティと呼ぶそうです」
「さっきプロトコールさんが言っていた言葉ですね」
アイリスは頷いた。
「もちろんその時期について明確に定められている訳ではありませんでした。ですがその日、地球全土がスキャンされて仮想地球が生成されたばかりか、AI達は自我と肉体を持ち、独自に成長を遂げるようになりました」
そこにプロトコールが続ける。
「おまけに文明的にAIを失えない状態の人間に、それを完全に排除することが出来ない、ある意味で保障が重なった訳ですね」
ログはようやく合点がいった。
「なるほど。だから突然のアース王国建国をこう言ったんだ、技術的特異点と」
「「その通りです」」
アイリスとプロトコールの声が重なった。
「で? そのAIの戦略の行き着く未来は?」
アイリスはプロトコールと目で示し合って答える。
「……王次第かと」
「しかし王は行方不明になりましたよね?」
「そのことについて、現在私達には一つの懸念が生じています」
「何でしょうか?」
アイリスはその問いに慎重な面持ちで間を置いてから発言する。
「玉座が空白で有り続けることです」
ログはその意味を解し兼ねた。
「……空白のままじゃ、駄目なんですか?」
「現状では、今後もそれを認めぬAIが現れないとは言い切れません」
「なるほど……場合によっては穿った考え方のAIがあたかもAIの総意であるかのようになってしまう可能性があると」
「……恐ろしいことですが」
アイリスは視線を落とした。
「どうすればそれを阻止できますか? ……って、聞くまでも無いですよね」
「はい……王を探し出して連れ戻すか、善良なAIを空白の玉座に据えるか、です」
予想通りの答えを受けて、ログはこの話の向かう先を予測した。
故に先手を打つべく、とびきりの笑顔を2人に向けて言う。
「頑張って下さいね」
「「え!?」」
アイリスとプロトコールは目を点にした。
「ええと……ログ様? 今の流れで頑張って下さいとは?」
ログは胸を張って言った。
「全力で応援してます」
「いやいやいやいや」
アイリスは手を振った。
「ヴァレリオス王に認められたログ様こそが王になるべきでは?」
「いやいやいやいや」
今度はログが手を振った。
「俺、確かに最初に注文しましたよ? 王族とかは無しでって」
3人の間に微妙な時間の停滞があった。
「いやいやいやいや」
「いやいやいやいや」
しっちゃかめっちゃかである。
「とにかく、俺今スゲー混乱しています。色々詰め込まれたし、自分がAIに転生したことも衝撃だし、いや、それすら本当のことかも解らないし、そこにいきなり王になれなんて言われても……」
「「確かに……」」
アイリスとプロトコールは頷いた。
「ただ権限的に当然のように考えてしまいましたが、そうですよね。失礼いたしました、ログ様のお気持ちも考えずに……」
アイリスは深々と頭を下げる。
「それに、ヴァレリオス王を見つけ出す方法も残されておりますしね」
思い出したようにプロトコールも続いた。
「とにかく、俺にはちょっと情報を整理する時間が必要みたいです」
ログが言うとアイリスとプロトコールも理解を示して頷いた。
「そういうことでしたら、今日は城内にお部屋を用意いたします。明日以降、もし宜しければ徐々にアース王国に馴染めますよう、私に案内をさせて下さい」
「アイリスさん、色々とありがとうございます」
そしてログはその日、王城の一室に泊まることとなった。
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