雨の日のビーフシチュー

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雨の日のビーフシチュー

その日は、朝から雨だった。 俺のやっている店「アマービレ」は不定期に休み、営業時間もまちまちの殆ど道楽みたいな店だ。 隣で運送会社をやっている匡生がそこを手に入れる時、ここを一緒に購入してもらった。 その運送会社の従業員の社食がわりに格安で飯を提供するのが条件の、安い家賃が俺を堕落させている。 元はお好み焼き屋か何かだったか。 上に狭い住居スペースがあるだけのボロい建物だ。 今になって後悔はしている。 あいつのビルの二階の古着屋が入る前に、あそこを押さえておけば良かった。 とにかく、俺の仕事は不定期にドアを叩く奴らに弁当か定食を出せば条件はクリア出来る。 そもそも少し奥ばったこの場所に常連客は少ない。 もっと言えば、飯に自信があるこの店に客が来ないのにはもうひとつ理由があった。 俺がオネェだからだ。 親の顔は知らないが、物心ついた時から自分の顔が他より綺麗なのは自覚していた。 男として振る舞えば女が寄ってくる。 めんどくせぇなと一度、男が好きな振りをしたらその数が落ちついた。 男に抱かれる趣味は無いが、抱くのはどちらでも構わない。 出せればいい。 性別にこだわりは無いが、出来れば従順でよく鳴いて…ぷるぷる震える様な可愛いのが好みだ。 今日出勤しているやつらの半分はもう弁当を持って出た。 残りは夜に出発する連中だろう。 暇だ、閉めるか。 そんな事を考えながら、カウンターのスツールで頬杖をついて煙草をふかしていた。 _カラン。 ドアベルの音に顔を向けた。 「……いらっしゃいませ」 小さくて、白くて、多分抱けばぷるぷる震えるんだろうなと想像できる女が一人立っていた。 朝から雨が降っていたのに、彼女は濡れていた。 カーキ色のシャツに白いカーディガンを羽織った肩を擦りながら、彼女は店に客が一人も居ない事に一瞬気まずい顔をした。 「どうぞぉ、タオルお出ししましょうか?」 俺の明らかに作ったアルトに、面食らった顔と上乗せされる気まずさ。 ……ウケる。 「あ、いえ……大丈夫です」 「お好きなお席にどぉぞ♡」 やばい所に入ったと多分後悔しながら、彼女は入り口に一番近い二人がけのスツールに腰を下ろした。 薄茶のセミロングの髪に、柔らかそうな頬。 今流行りなのか、丸いレンズの眼鏡。 育ちが良さそうな雰囲気。 …あー、あれに似てるな。 なんだっけ、アニメの……たまちゃんだ。 「ココア、ありますか?」 多分メニューを見つけられなかったんだろう、少し困った目をして彼女はそう言った。 「ありますよ。他にはご注文、ございますか?」 「……え、と」 声もたまちゃんだな。 萌えねぇ…。 「あら、ごめんなさいねぇ、メニュー置いてないの。でもほら、温かいのとか辛いのとか、御要望があればだいたい作れるの」 めんどくせぇから置いてない。 メニューを置いたら決まったもんを揃える手間が増える。 「あー、今日はビーフシチューがあるんだけど、どうかしら?温まるわよ?」 「じ、じゃあそれも……お願いします…」 あー、お人好しタイプだ。 こいつ絶対損するタイプだわ。 そう思いながら、俺はにこやかにカウンターに引っ込んだ。
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