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15. 心の中まで
駅前からマンションへ続く道を、二人並んで歩く。
前はここをどんな気持ちで歩いていたっけ、と心情の変化をなぞっていると、爽やかとはいいがたい生ぬるい夜風で髪がなびいた。
街灯に飾られたお祭りの提灯が揺れている。季節はすっかり夏に移り変わっていた。
「最近風呂と寝ることしかしてないから、あんまり散らかってないとは思うけど」
上がらせてもらった部屋は確かに綺麗で、キッチンにはグラス1つ、テーブルには本1冊置きっぱなしになっていない。
前はこのキッチンでラーメンを作って食べたことを思い返して、私ははたと気がついた。
「そういえばお店を引き返しちゃったから、もしかして何も食べてない?」
「ん?あぁ、いいよ。打ち合わせのあとの昼、課長に奢りだからって死ぬほど食べさせられたから」
姫は断りきれず、そのほとんどを食べ切ったらしい。ネクタイを解きながらげんなりした顔をする。
「打ち合わせ今日だったんだ。どうだった?」
「いろいろあったけど、最終的には納得して当初と変わらない方針で進めることになった。形式上先方の持ち帰りになったけど、たぶん大丈夫だと思う」
「じゃあうまくいったんだ?」
よかった、と胸を撫で下ろした私を、姫は少しからかうようにして笑う。
「何、心配した?」
「そりゃしてたよ!会社でも席にいないし、知っている人もごく一部だから大っぴらに聞けないし。
私も何かやれることがあるならしたかったけど、余計なことするなって言われるし…」
後半は少しだけむくれた物言いになった気がする。
でも本当に心配だったのだ。仕事だけじゃなくて、ちゃんと帰れているのか体を壊してしまわないか。ただあの一言で踏み込んではいけない気がして、結局何もできなかった。
「早瀬のことだから、コンサルの宇多川に連絡して協力してもらおうとか考えてたんだろ?」
それは、その通りだった。言い当てられた私はぐぅの音も出ない。
軽く俯いた私に、姫は少しだけ考えるようにしたあと、そっと頬に触れた。距離が近い、と思ったらむにっとつままれる。
「やっぱり釘刺しといて正解だった。四宮さん経由で伝えてもらえば早瀬も暴走しないと思ったし」
暴走って…そんなに後先考えずに行動すると思われてたんだろうか。けれど私の考えることなんて全部お見通しだったのだから黙るしかない。
「何となく意趣返しされるのは想定してた。こんな手段だとは思わなかったけど、今日の打ち合わせでやんわり潰しておいたから気が晴れたし」
そう言って少しだけ楽しそうに笑うと、姫はクローゼットへ移動して扉を開けた。
やんわり潰すって何だろう。相容れない言葉の組み合わせが恐い。
私は少しだけ宇多川さんに同情しつつ、詳しく聞くのはやめておくことにした。
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