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「そうだ、今度会社に寄ってよ。うちのカフェ、けっこう評判いいんだよ」
実は商品開発部にいるんだけどさ、社長がオリジナルスイーツに力入れてて、ほんとおいしいから、食べにきてよ。夜の住宅街をほの暗く照らす、申し訳程度の外灯の光が、ぜんぶ、遥希の瞳に宿ってしまったかのように、きらきら、きらきらしている。まぶしい。まぶしくてたまらなくて、遥希を見つめ返す自分の瞳がひどく澱んだものに思えて、恥ずかしくなって、さっと視線を逸らす。
「祐衣里ちゃん? どうしたの?」
光の塊がこちらに向かってきて身構えた。それなのに、ふいに顔を覗き込まれて、勢いよく飛び退いてしまう。すぐ後ろの玄関ドアに背中を思いきりぶつけて、思わぬ激痛に涙目になった。
「わ、大丈夫? いい音したけど」
「だ、いじょう、ぶ」
「じゃないでしょ、その顔は。痣になったら大変だよ」
右腕をひねって肩甲骨のあたりに触れようとしたら、再び手が伸びてきた。動きを封じられているわけでもないのに、避けられる場所がない。
薄いTシャツ越しにふっと触れられて、痛みなんてすぐに飛散してしまった。身体じゅうの毛穴から汗がじわりと滲むのを感じて、お願いだからこれ以上触らないで、と懇願したくなる。
「祐衣里ちゃん、細い」
「へ?」
「ちゃんと食べれてる? 心配だな」
触れられた部分から熱が灯っていって、発火しそうになる。お願いだからもう、と目を閉じる。ブラジャーの紐の上をさわさわと撫でられて、卒倒しそうになる。体温が宿る指先と、汗ばんだ手のひらの感触が伝わってくる。それが遥希の持ちものだとは、とても信じられない。
ねえ、いったい、熱いのはどっち? 細い髪の毛や耳たぶのあたりからじわじわと香ってくる甘いシトラスは、香水なのかシャンプーなのか。わからない。それを判れるほど、わたしはいまの遥希を知らない。
「遥希、あの、もう、ほんとに」
「せっかく家近いんだし、今度、一緒にごはん食べようよ」
「え?」
「こんな偶然、逃すのもったいないじゃん。高校卒業してからいままでのこと、いろいろ話したいし」
ね? そんな、ねだるみたいに首を傾げられて、可愛い顔をされましても。呆れたくなる反面、胸の奥の奥にしまいこんでいた淡い恋心が、かたかたと音を立てているのがわかる。
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