それから、柾木君は……

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それから、柾木君は……

「……付いてくるなよ」 「帰ったら、LINEよろしくぅ」  夏季講習が終わると、信之介に釘を刺して教室を出た。今日も全体練習は終わっている時間だが、自主練で残っている部員がいれば、目当ての人物もいるかもしれない。 「……だから、ここの経費はさぁ」  部室のドアの向こうから話し声が聞こえる。あれは、浅野だな。ということは。 「おい、他のヤツは、もう帰ったのか?」 「あっ、柾木先輩! お疲れっス!」 「お疲れ様です!」  予想通り、整然と片付いた室内にはマネージャー達がいた。パイプ椅子に座った山之辺は、身を乗り出してノートパソコンの画面に齧り付き、その後ろで浅野がなにやら教えている。 「もう終わったんで、俺達も帰りますよ」 「そうか。じゃあ……」 「柾木先輩、俺、屋内練習場の見回りしてくるんで、ちょっと待っててもらっていいっスか?」 「ああ……構わねぇが」 「あざーっス。頑張れよー、奏風ぁ」  浅野は山之辺の肩をポンポンと叩くと、鞄を手に部室を出て行った。気遣い? アシスト? なんにせよ、勘の働くヤツめ。 「あの、柾木先輩?」  山之辺のパイプ椅子の真後ろに回ると、彼は反り返るように顎を上げて俺を見た。その頰がほんのり赤い。 「お前なぁ。初めに、ちゃんと言えよ、簑嶋(みのしま)」  髪の毛をクシャリと撫でる。柔らかい猫っ毛がフワリと指先に絡む。大きな瞳が見開かれ、顔中に朱が広がった。 「だって……名字が変わったし、僕の顔見ても、気づかなかったから」 「だったら、尚更だろ」  全く、不覚だ。こんなに顔立ちなのに、どうして、分からなかったんだろう――。 「思ったより、明るかったな……」 「俺らにまで気ぃ遣わなくていいのになぁ」  見舞いに行った病室を出て、俺と信之介は重苦しい空気を払えないまま、長い廊下をエレベーターに向かった。なにか喋っていないと、遣る瀬なさに押し潰されそうだ。  中2の夏、俺達の中学校は地区大会を順調に勝ち上がり、3日後に決勝を控えていた。練習日の朝、沈んだ様子の監督が、3年の先輩――チームのエースが交通事故に遭った、と言った。昨日学校から自転車で帰る途中、暴走車に横から突っ込まれたという。両足が車体と壁の間に挟まれ、脛骨(けいこつ)骨折と膝の前十字靭帯(ぜんじゅうじじんたい)損傷――術後のリハビリ期間を含めると、完治するまで1年近くかかるらしい。 「あ、あの……!」  パタパタと軽い足音がして、振り向くと小柄な少年が追いかけてきた。 「ぼ、僕、簑嶋の弟です。兄ちゃんが、柾木さんに渡して欲しいって、これ!」  今さっき会った先輩が、俺に?  訝しんだが、少年の勢いに押されて、差し出されたものを両手で受け取る。 「兄ちゃんの分まで、頑張ってくださいっ!」  少年はピョコンと頭を下げると、止める間もなく廊下を引き返して行った。掌の中には、銀色の大きめの鈴がゴロンと付いた「必勝守」があった。  地区大会の決勝戦。エース番号を背負ってマウンドに立ったのは、3年生だった。延長までもつれたが、11回表に俺達が勝ち越しの3点を奪取した。あとアウト3つで県大会進出だ。ところが、その裏。好調だった先発が連打を浴びる。リードはわずか1点になり、ノーアウト満塁。監督は、控え投手(背番号11)の俺をマウンドに送った。 「あの決勝戦、僕、見に行ったんです」 「えっ、マジか」 「柾木先輩、格好良かった」  地区大会を粘り勝ちしたものの、エース不在で勝てるほど県大会は甘くなく、俺達は初戦を大差で敗退した。 「兄ちゃんは辞めちゃったけど、僕は野球に関わりたかったんです。柾木先輩の近くで」  そうか……やっぱり、簑嶋先輩は。  あの夏、結果報告のために病室を再訪すると、既にリハビリ施設が整った隣町の病院に移っていた。挨拶も出来ぬまま、学校も転校していて、消息は分からず終いだった。 「先輩は、優しくて、頼もしくて、格好良くて……いつもドキドキしてました」  うっとりと語り出したから、そっと後退る。これっていつもの告白パターンだ。 「そりゃあ、憧れとか尊敬じゃねぇのか」 「もー、恋ですってば」  突然パイプ椅子から立ち上がると、山之辺は体当たりする勢いで飛びついてきて、俺の腰にギュッと両腕を回す。 「おい、止めろって」 「だって、先輩、分かってくれないじゃないですか」 「分かった。分かったから、離せって」 「ホントに分かってます? 僕、大好きなんですからね?」  抱き付いて、俺の胸に顔を埋める。して安心したのか、これまでに輪をかけて積極的だ。 「お前、応援するだけで充分だって、昨日言ったろ!」 「……これ、応援のハグだもん」 「嘘つけっ」  無茶苦茶だ。それでも振りほどかないのは、なぜだろう。山之辺の正体を知って、俄に情が沸いたのか? いや、待て、なんの情だよ!?
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