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建前と下心
「山之辺、もういいだろ。帰るぞ」
一方的に抱き付かれたまま、しばらく棒立ちでいた。振りほどくことも出来ず、抱き締め返すことも出来ない。それが今の俺の気持ちだ。
「……先輩、元気出ました?」
「元気だよ、俺は」
好きだと言っておきながら、この抱擁をあくまでも応援だと言い張る。それ以上を望んでいることは、もうバレているのに。
「僕、先輩が大学でも野球続けるって聞いて、本当に嬉しかったんです」
中学では、エースを欠いて地区予選の壁に阻まれた。高校では、バランス良くメンバーが揃い、今年こそ甲子園が狙えると息巻いていたのに、豪雨に邪魔された。言い訳だと分かっていても、憤りと後悔に打ちのめされた。俺の野球人生もこれまでか――諦めに沈み、自暴自棄になりかけた。そんなとき、俺の顔をもう一度上げさせてくれたのは、コイツ……山之辺のハグだった。
「兄ちゃんが言ってたんです。『1学年下に、凄いピッチャーが入った。アイツとなら、全国大会に行けるかも』って」
簑嶋先輩が。
胸の奥がキュウッと苦しくなる。憧れていた。尊敬していた。誰よりも野球に一生懸命だった先輩が、どうしてあんな事故に巻き込まれなきゃならなかったのか。人生は理不尽だ。
「簑嶋先輩は、どうしてるんだ?」
「元気ですよ。今、アメリカにいます」
「え?」
「K大に行って、留学したんです。野球じゃないけど、やりたいことを見つけたって」
「……そうかぁ」
まだ燃え尽きちゃいない。まだやり残したことがある。
監督に相談した結果、第一志望の野球部はスポーツ推薦合格者が入部条件で、俺の実績では難しいと言われた。だから一般入試からでも野球部に入れる大学に照準を合わせた。実力で突破してやる。野球を続ける場所は、自分で勝ち取るんだ。
「僕、先輩がどこに行っても、ずーっと応援しますからね!」
「……応援、か」
猫っ毛の髪をクシャリと撫でる。山之辺の両肩が大きく跳ねた。
「あまり目立たないようにしてくれよなぁ」
好きの気持ちは返せないけれど、それでもいいとコイツが望むなら……あの頃の簑嶋先輩そっくりな顔で背中を押してくれるなら、これからも頑張れる気がする。
「はいっ。柾木先輩、大好きです!」
山之辺が言い終わらないうちに、ドアがガラリと開いた。
「失礼しまー……あー、お疲れっしたぁ」
「おい、待てっ、浅野っ!」
俺と目が合った瞬間、浅野はフリーズしたが、すぐに爽やかな笑顔でドアを閉めた。
どこかでセミが鳴いている。
2人切り残されて、俺は天井を仰ぎ、深く溜め息を吐いた。
【了】
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