第7話 鎌倉大仏とメニュー開発

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第7話 鎌倉大仏とメニュー開発

 普段、僕に冷たい娘の蒼空がリストラで早期退職してからちょっぴり優しくなった。  娘なりに不憫な父親を気遣ってるのかもしれないな。  今朝、いつもはねぼすけの蒼空が早く起きてきて、子犬のガルガルとふてぶてしい猫の姫子を抱え満面の笑みを浮かべた。 「良かったねガルガル。パパ、お散歩よろしくね」 「ああ。行って来るよ」  僕がスニーカーを履いてるそばにガルガルが来てスニーカーの爪先を噛んだりじゃれつく。 「このやんちゃ坊主め。そんなに悪戯すると散歩に連れて行ってやらないぞ」 「くぅーん」  子犬のガルガルはしゅんとなり大人しくおすわりをした。 「私も一緒に散歩に行こうかな」 「珍しいな。そうか蒼空も行くか」 「やっぱ行かな〜い」  なんだあっさり振られた。  蒼空の思わせぶりな言動に一喜一憂振り回された。 「行って来ます」 「行ってらっしゃい」  尻尾をぶんぶんちぎれんばかりにワイパーみたいに動かすガルガル。  勢いよく走り出す。 「まっ、待てっ」  掴んでたリードが危うく手からすっぽ抜けそうになった。  元気いっぱいの子犬のペースで走るほどの体力はない。 「ガルガル、僕に合わせてくれ〜」  僕は新しい相棒と散歩にくりだした。  鎌倉に住んでからというもの毎日が発見の連続だ。歴史の古い建造物とお洒落で流行の最先端を行く新しいものが混在している。  僕が思うに小町通り周辺や江ノ島あたりは特にそう。  うまく調和がなされた街は観光客や地元の人たちも行き交う賑やかさと華やかさが漂う。  往来する人々の笑い声、相模湾などの海と山と神社にお寺、四季折々の草花と江ノ電に、姿が見られれば魅せられてしまう富士の山。  伝統の文化や菓子や料理が根づいていても時代の流行を受け入れる。  そんな風土は僕にぴったりだ。  他所(よそ)から来ても浮かない。  鎌倉の街を歩けば風通しがよくうきうきと心が弾む。  僕は長谷まで足を伸ばした。  高徳院の鎌倉の大仏様は堂々と鎮座して迫力がある。 「ペットはご遠慮いただいております」 「あっ、そうなんですか。すいません」  僕はペットが高徳院には入れないのを拝観の受付で知った。  僕がしょんぼりていると「何かお困りごとですか?」と声を掛けられた。  僕が振り向くと温厚そうな老夫婦がにこやかな笑顔でいる。 「犬は入れないみたいで」 「そうそうワンちゃんは大仏様の境内を歩けないのよね」    ペットが敷地に入れないとかこれっぽっちも考えてもいなかったので寝耳に水だった。  ところが思ってもみない申し出を受けた。  ガルガルを老夫婦が見ていてくれるという。 「ありがとうございます。助かります」 「良いんですよ。うちもワンちゃんを飼ってましたから」  聞けばご夫婦は最近愛犬を老衰で亡くしたばかりという。  お参りをすませた後ご夫婦と少し世間話をしてお礼をよく言って別れた。  僕は老夫婦が教えてくれた高徳院からすぐのドッグカフェに入ってみた。  テラス席に座り子犬のガルガルのリードを専用の支柱に引っ掛ける。  先程のご夫婦とは僅かばかりの時間の交流だったが袖擦れ合う縁、気の良い人たちと出会えた事が嬉しい。  困っている人に快く手を差し伸べる姿勢は僕も見習わなくちゃ。    ドッグカフェに置かれたオブジェなどはアメリカンな雰囲気なのに、珈琲に紅茶ケーキの他に抹茶や羊羹などもあって和洋のコラボが面白い。  ガルガルにはペット用のミルク、僕は珈琲を注文した。  焙煎珈琲の芳醇な香りはたまらなくそして気分が落ち着く。  追加で弥生さんと蒼空のお土産用に豆腐ドーナッツ、ふてぶてしい猫の姫子には猫用のケーキを頼んだ。  僕は予算とお小遣いが許す限り勉強のためにカフェ巡りをしている。  繁盛店のやっぱり良いところを取り入れたいと思うし自分が開くカフェの参考にしたい。  外装や店内の雰囲気はもちろん、とりわけメニユーのことは朝から晩まで考える日々が続いていて会社で働いていた時より心が溌溂と充実している。  僕のカフェの初めは準備するメニューは少なめの予定。  開店したばかりではいろいろ経験不足だろうから無理はしない。  鎌倉の地の食材をふんだんに使い鎌倉らしさ僕らしさを出したい。  時間はそうだなあ。モーニングとランチの営業で飲み物は珈琲と紅茶と子供向けにホットミルクなんてどうだろうか。  料理は鎌倉野菜のピューレサラダとしらすピッツァセット、新鮮卵のオムライスと鎌倉野菜のコンソメスープセット、または相模湾の魚の干物定食にしよう。  デザートは卵プリンか生地にすりおろした野菜を混ぜ込んだふわふわホットケーキ。  あとは試作を重ねよう。  味見は物をはっきり言う弥生さんと蒼空に頼めばうってつけだ。  カフェ経営には材料費に人件費、光熱費に家賃その他もろもろ。採算に見合うようにしなくちゃならない。  僕に出来るかな。  今さら思いっきり不安がこみ上げてきた。  カフェ巡りで出会う珈琲が美味しい珈琲であればあるほど、どこか卑屈な気持ちと焦りが出てくる。  いくら飲食店で働いた経験があるからって経営者になったことはない。  僕ってつくづくダメだな。  度胸も覚悟も足らないじゃないか。  子犬のガルガルに僕のそんな気持ちが伝わるのかペロペロと僕の手の指を舐めてくる。  まるで僕を慰めるかのように。
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