年末の葬式(1)

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年末の葬式(1)

 一夜のうちに雪の中に()められたのだろうか。信広は身体を横向きにした。ひんやりとした空気に身もだえた。雪だと思っていたのは掛け布団だった。()硝子(がらす)の向こうの縁側がうっすらと明るく見えた。カーテンの下から陽光が忍んできたらしい。その光をこちらにたぐり寄せたくて、手を伸ばしたくなった。  足下にある(ふすま)の向こうの居間の電気が()いた音がした。コタツのなかに入り込むだれかの気配を感じた。時間を確認しようと床の間の方へと視線を向けた。手探りで携帯電話を探し出した。ホーム画面を見ると、まだ夜が明けきらぬはずの時間だった。  ストーブから放たれる熱気を入れたコタツに、黙ってもぐっているのは、だれなのだろう。もう一度、縁側に目線を投げたが、そこからはあの光が消えていた。あるはずがないものが消えることなんてないのだから、あれは幻覚だったのだろう。起きてからいままで感じたもののなかで、夢のなかのものに分類されるものが、いくつかある気がする。  痰の絡んだ咳がうすら寒く聞こえてきた。あの向こうにいるひとを、確かめてみようか。信広はそう思いながらも、自分が起きていることを何者かに悟られたくないような気がして、身体をまるめて眼をしっかりと結んだ。そして、自分は死んでしまったのではないかと、現と夢の狭間で考えたりした。      ×     ×     ×  縁側のカーテンを開けると、そこには白く染めあげられた庭があり、しんしんと雪が落ちてきていた。じっと見ていると、瓦屋根からどさりと雪の塊が落ちてきた。軒下にはうずたかく雪がたまっていた。  松の間に張られていた雪よけの網は、連日の積雪に耐えきれず、すっかり握力を失していた。そのなかの一つはもう、雪のなかで息絶えてしまったらしい。むかしはこぢんまりとした池だったところは、白雪を入れたお椀となっていて、陽に当てられて溶けてしまったら、鯉のいる綺麗な水たまりになるのではないだろうか。  が、そうした空想は、彼の吐く息のせいで曇りはじめた窓硝子の向こうにかき消えた。靴下は縁側のひんやりとした冷気を吸い込んでいく。  信広は仏壇から流れてくる線香のにおいを鼻孔(びこう)に感じながら、日課にしている読書をはじめた。重ね着しているにも関わらず、寒さとは違う別の冷たさが漂うこの仏間は、どんどん信広の心身を寂しく青く灼いていった。  それでも仏間から出ようという気にはなれなかった。いまは亡き母の生家で無為に過ごしているという事実は、彼の良心を苦しめていた。そしてこの家に棲む人々を客観的に見ていくなかで、人間の醜さと美しさを感じるには、生まれ育った家より、たまにしか行くことのない家の方が一番であるということを知った。  信広は横文字の文章を読むことで、無為に過ごしているのではなく、体力を蓄えるための時間を費消しているのだということを、自他ともに認証させようとした。横文字の研究書というのは、そうしたふりをするのに格好のアイテムだった。しかしこの家の人々は、こうした信広の振る舞いなんて気にすることはなく、ただ、来春には帰ってくれる世話のかかる客人にしか思っていなかった。      ×     ×     ×  信広は、雪かきを手伝うよう言われて、ジャンパーを着て(おもて)にでていった。彼らを見つけた人たちは「おはようさん」と声をかけたきりで、手押し車にスコップで雪をつめると、用水路の方へと運んでいき、そこに雪塊(せっかい)を捨てて、流れて行くようにと上からくだいていた。  彼の叔父にあたる康志は、この人々と同じことをするようにと信広に命じた。まだ二十四の歳で、身体つきの華奢な信広は、戦力として見做されてはいなかったが、足手まといとは到底思われていなかった。  しんしんと降っていた雪は、だんだんと吹雪になりはじめて、橋の方から坂をくだってくる強い風は、一斉に彼らへと襲いかかり、ジャンパーのフードをぐちゃぐちゃにして、白い冷たい煙のなかにいる彼らの動きを鈍らせた。  鳥居の近くにある用水路の方から「こりゃ、ムリだわ!」と、怒鳴ったような声が聞こえてきた。      ×     ×     × 「あかんわ、今日は外に出るのはあきらめんとなあ」  康志はため息をついた。じいさんはそんな愚痴に頓着せずに、眼鏡をかけて農業雑誌をめくっていた。ばあさんは、康志の妻である香織と家にある食料のことについて話していた。そうかと思うと、ふたりの話題は、年金でテレビを買うかどうかの討論に変わっていった。  居間のテレビは、まんなかに黒い線を引いて、画面をふたつに区分していた。香織は夫に意見を求めたが、「この雪じゃ、しばらくはムリだよ」と軽くあしらわれてしまった。  信広に対して、だれも声をかけることはなかった。それは、彼を知り人の客人として見做しているからであって、意地悪をしているわけでも遠慮をしているわけでもない。  信広は携帯を開いて、志帆から来ていた「おはよう」というメッセージに返信をした。それをきっかけに、テキストでのやりとりがはじまった。      ×     ×     ×  食後に襲ってきた強烈な眠気は、いまこのとき、志帆が誰かへと寝返っていないか、自分のことを裏切るようにそそのかす誰かと、近接(きんせつ)していないかという心配を、心中に引き起こし、彼女へのこじれた独占欲を募らせていった。  妄想のなかで、彼女に近づく(むし)どもを悪人にしたてあげ、ヒロインを救う主人公というありふれたストーリーを、様々なパターンで思い描いていった。そしてその妄想を引き連れて眠りに落ちた。  ストーブの延長を求める音がして、眼をさました。ボタンを押してもう一度毛布をかけ直したが、もうあたりは暗くなっているのに気づき、起きあがった。罪悪というものが、重くのしかかってきた。  頓服を飲もうと思い、だれもいない台所に入り、ケトルに手をかけた。落ちこんでいくこころを奮い立たせるこの薬が切れる前に、雪の日が止んでくれることを祈った。  副作用は眠気をもたらした。信広が送った最後のメッセージに対して、志帆からの返信はない。その理由なんて、分かりきっていることなのに、彼女が自分に対して()てている時間が、日に日に少なくなってはいないかと、彼は頭のなかで計算をはじめてしまった。
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