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絶不調の理由
翌朝も、翠のツンとした態度は変わらない。翠は「自分の胸に手を当てて考えてみて」と言っていた。しかし跳の中では思い当たるフシがない。お金の使い込みもしていないし、女性関係だって付き合い始めてから今に至るまで翠一筋だ。自分が一体どんな悪いことをしたのだろうか?悶々とした思いを抱えながらも跳はプールへと向かう。
「はい。今日のメインは100×4のブロークンを3セット。1分20サークルでセット間3分ね。背泳ぎのラストは本番と同じく最後バケットターンで。いつものように、本番のペースを意識してやること。はい60から。用意、ゴー!」
平岩コーチの掛け声を受けて跳は飛び込み台からダイブする。最初の1本目はバタフライ。ドルフィンキックを何発も入れて浮き上がり、両腕をかいていく。400m個人メドレーは長丁場。バタフライが終わってからまだ3種目残されているのだ。だからこそ本来はスピードをある程度維持しつつ余力を適度に残す泳ぎが求められる。
いつものように、レースの感覚で。しかし今日の跳はいつもと違う。腕のかき、ドルフィン、重心の移動、どれをとっても同じようにやっているはずなのに、明らかに推進力が違うのが自分自身でわかった。
「7秒6。おい跳、ちょっと遅いぞ。いつもだったら6秒くらいで入るだろう?大丈夫か?」
「……はい」
跳の顔がこわばる。心の暗雲を吹きとばさないとと思いながら壁に向かって立つ。次は背泳ぎだ。
「はい用意。ゴー!」
平岩の合図と共に跳は壁を蹴り出す。自分の想定よりもかなり遅いタイムを前に、気持ちを切り替えようにも切り替えが難しい。50mのターンをした後も思った動きを取り戻すことができないままバケットターンをした。
「5秒8。跳、遅いぞ。何か理由あんのか?」
「……いえ……あの、すみません」
跳はそう答えるしかなかった。
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