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 早朝、業務連絡のためユセフ王子の私室に赴いた。木製の両開きドアの前では見張りの槍持ちと世話係の宦官が常に待機している。宦官が私の耳に顔を近付け、「アーディル様がいらっしゃいます」と囁いた。宦官の隣で不機嫌そうな顔つきで溜息ばかりついているのは白いカフタンと白いターバンで身を包んだ文官のエルバン。顎を埋め尽くすほど蓄えられた髭を落ち着きのない様子で撫でていた。彼も謁見を願いたいのに、同じ理由で足止めを食らっているらしい。私をジロリと睨み、八つ当たりをしてくる。 「朝から多忙なのだな、カシム武官。たまには親衛隊の訓練にでも参加すればよいのでは? ベータは特に血の滲む鍛錬が必要だろう」  確かに私の主な任務は親衛隊への指導や軍事関連の補佐をすることであるが、ユセフ王子の側近として予定管理や宮中の出来事の報告など、身の回りの雑務も任されているので軍事だけというわけにはいかない。エルバンはそれを知っていてわざとそのように嫌味を言うのだ。私は軽く頭を下げただけで反論はしない。こういうやっかみに反応するだけ時間の無駄だ。アーディルがいるなら出直そうかと思ったところ、私の訪問に気付いたのかユセフ王子が「入れ」と中から指示する。エルバンの苦々しい視線を感じながら部屋に進む。 「ご機嫌麗しゅう存じます」 中に入るとユセフ王子とアーディルは朝食を摂っているところだった。床に置かれてある円卓には銀の盆があり、パンやフルーツ、デザートなどたくさんの料理が並べられている。 「ああ、麗しいな。用件は」 「ゾルジアナの隊商が隊商宿(キャラバンサライ)に到着しました」 「そうか。なら今日は午後から市場を視察しよう」  ユセフ王子はアーディルの肩を引き寄せ、「また夜においで」と額にキスをした。  アーディルを連れて離宮に来てから三ヶ月が経ったが、ユセフ王子は飽きるどころか毎晩のようにアーディルを寝所に呼ぶ。ただ、私の知る限りでは同衾はしていない。ユセフ王子は流産してからまだ癒えていないアーディルの心身を労わろうと、ひたすらに甘やかすだけだ。浴場(ハマム)でゆったり体を休め、美味しい食事を用意し、詩を読んだり歌を歌ったりして一晩中語り明かす。アーディルはユセフ王子の話に相槌を打ちながら耳を傾け、穏やかな夜を楽しんでいるようだった。  初めはそれすらもあまり良く思わなかった私だが、ユセフ王子が熱心にアーディルを寵愛する姿に次第に感化され、今では二人の睦まじい姿を微笑ましく思うようになった。  何より絵画のように美しい二人だった。ユセフ王子の金色の髪と透き通るような碧眼。虫も殺さぬような甘いマスクは側妻はもちろん、宦官ですら見惚れるほど整っている。爽やかな容姿に鮮やかな青のカフタンが映え、袖に金糸で刺繍されたダマスク模様と金ベルトが威厳を引き出す。その隣には天使の顔をした美しい青年。歩く度にひらひらと揺れる袖とロングベストの裾が羽のよう。私は麗しい二人を傍で見守りながら、彼らに仕えることができる誇らしさと尊さを噛み締め、密かに羨望を抱くのだった。
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