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私は橋の上に降り立った。胸が高鳴り、手が汗ばんでいた。しかし、目を向けた先には、ただ冷たい橋がアーチを描いているだけだ。
「んにゃおーん」
足に暖かいふわふわが押し付けられ、足元に目を落とした。そこには尻尾を立てて円な黒目でこちらを見上げる三毛猫がいた。子猫よりは身体が大きい。けれど、大人の猫というよりは小ぶりで比較的若い猫のようだ、飼い猫のように毛並みが整っていて艶やかだ。
「あなたは…んにゃ。こんな所で何してるの?」
私も猫撫で声で尋ねると、猫は注目してもらえた事に満足したのか、淑やかな動作でその場にちょこんと座った。凛とした佇まい。心を見透かすような丸い瞳に見つめられ少し緊張した。
「にゃ?」
私が首を傾げると、猫も首を傾げた。思わず笑みが溢れた。けれどその頬が少し引きつるので、頬を揉んだ。
膝を折り、猫となるべく視線を合わせる。笑ったのなんていつぶりだろうと思いながら猫の頭に手を添えた。
「こんな所で、ひとりぼっちで危ないぞ」
言いながら猫の頭を撫でると、三毛猫は目を細めて私の温もりを求めるように頭を突き出してきた。
「まったく、君のせいでゲーム中断だ」
言いながら、さっきからずっと頬の違和感が気になっていると、悲しくなってきた。同時に、こんな自分自身を自嘲した。勇気を出して電源をオフにしたスマホには今頃、最低な父親からおぞましい数の着信とラインの通知が来ているに違いない。
人間の都合など露知らず、猫は顎の下を撫でられて、ごろごろと気持ちよさそうに喉を鳴らした。
私の奇行を誰かが見ていたのだろう。一台の軽バンがハザードランプをたいて路肩に停まった。
どこの誰だかわからないが、きっと自分の行動を見て「死ぬな!」と軽薄で陳腐な価値観を押し付けて来るのだろうと思った。気まぐれの偽善や教科書通りの道徳心を押しつけられるくらいなら、猫の温もりの方が1000倍ましだと思った。
なんかもう、やっぱり無理だった。あの父親の元での地獄のような日々。心から頼りたい時に限って、都合よく目を逸らし、私を見離す身勝手な大人も、そんな連中で溢れるこんな世界も、もう懲り懲りだ。
「あーあ、猫になりたい」
なんのしがらみもなく、呆れるほど呑気で可愛いもふもふを見ていたら、思わず本音が漏れた。
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