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第17話
施設で暮らしているビースター達は、康の想像以上に手がかからなかった。
元々ビースター達の結束は固いため、諍い等もなく、またお互い支えあっているところも見受けられた。
強いて言えば、初めての食事は少し大変だったかもしれない。
ビースター達は今まで「普通の食事」というものをしたことがなく、初めてみる食事(ちなみにカレーだった)に怯え、口をつけられないでいた。
康は、資料にビースターのベースは人間であり、普通の食事を与えても問題ないと記載されていたため、なんなく終えられると思っていたが、どうしたものかと頭を抱えた。
停滞していた食事の流れを変えたのは空護で、彼はスプーンでカレーを掬うとぱくりと口に入れた。
ビースター達はじっと空護を見つめる。クマ種の男は、少し青ざめていた。
「おいしい?」
空護はもぐもぐと口を動かす。甘めに味付けされたカレーは、いつも食べていたカロリーバーより華やかな味だった。ただ、自分の知っている「おいしい」ではなかった。
「…普通。カロリーバーよりましだとは思う」
そう言って、またカレーを口に運ぶ。
二口、三口、四口、無言で食べ続ける空護に影響されたのか、何人かのビースター達が、慣れない手つきでスプーンを手に取り、カレーを食べ始める。
熱々のカレーとごはんが、口の中で混ざり合う。食べたことのない味だったが、またすぐに食べたくなってしまう。
「おいしい?」
康が、ビースター達に問いかける。ただ、「おいしい」を知らないビースター達は、首をかしげるだけだった。
「おいしい、というのは、食べ物を食べたときに、幸せな気持ちになったり、また食べたいって思ったりすることだ」
大人びたクマ種のビースターが口をはさむ。そして、彼もまたカレーを口に入れた。
「これがおいしいってことなんだね!」
小学生くらいの、クマ種の女の子が無邪気に笑った。なれないスプーンを使ったせいか、口のまわりにはカレーがついている。
少女はにこにことしながら、カレーを食べ進める。その様子を見て、すべてのビースターが食べ始めた。
おいしい、おいしい、と知ったばかりの言葉を、みんなが連呼していた。
振り返ってみれば、いい思い出だったな、と康はほっこりとした気持ちになる。
このタイミングでは、現実逃避に他ならないのだが。
「何にやついてんだ、気持ち悪い」
「だって緊張するんだもん!現実逃避くらいさせてよ!」
康と空護は、上層部への挨拶周りに来ていた。擁護派のリーダー的存在である「佐紀 瑠璃」の自宅へ。
瑠璃の自宅へ着いた空護たちは、使用人に客間へと案内され、瑠璃が来るのを待っている。
ドアが控えめにノックされ、静かに開く。
「すみません、お待たせしました」
瑠璃は長い黒髪をぴっしりとまとめ、膝丈の真っ白なスーツドレスを身にまとっている。年齢は50歳近くと聞いていたが、とてもそんな風には見えなかった。
「林野庁森林整備部長の佐紀 瑠璃 です。本日はご足労いただきありがとうございます」
お手本のような姿勢で、瑠璃がお辞儀をする。二人は慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「こちらこそお時間をとってくださり、ありがとうございます」
「そんなにかしこまらないでください。無理を言ったのはこちらなんですから」
瑠璃は康にそういうと、空護に視線を向けた。
「この部屋には近寄らないよう、言いつけてあります。ですので、ローブを取っていただけませんか?」
瑠璃以外のものに、空護の耳を見られるわけにはいかなかったため、空護はローブを身に着けていた。そして、瑠璃に促され静かにローブを脱ぐ。
黒くつややかな毛でおおわれたオオカミの耳、宝石を思わせる琥珀色の瞳。
「これでいいでしょうか?」
瑠璃は空護をじっと見つめて、悲しげに微笑んだ。
「ありがとうございます。ああ、どうぞおかけになって」
瑠璃に促され、二人はソファに腰かける。
「本来であればこちらからお伺いするべきですが、わざわざ来ていただいてすみません」
「ビースター達の居場所はトップシークレットですからね。知っている人間は極わずかに絞らせていただいています。それに、彼一人の移動であれば、万が一人に見られても、『罰ゲームでコスプレさせられた』でごまかせますからね」
空護がじろりと康を睨む。
「冗談だって冗談。君の姿が見られないように、細心の注意を払ってるよ」
「それは知ってる。それで、お話とは何ですか?」
琥珀色の瞳が、瑠璃の一挙一動を見逃さないといわんばかりに集中している。
「大神空護さん、あなたにお礼と謝罪を。あなたのおかげで多くの国民の命が救われました。あなたがいなければ成し遂げられなかったことです。本当にありがとうございます。そして、私たちはあなたに、ビースター達に残酷な運命を背負わせてしまいました。心からお詫び申し上げます」
瑠璃は空護に深々と頭を下げた。空護はそれを冷めた目で見おろしている。
「あなたに礼を言われる筋合いはありません。おれは、おれの目的のためにドラゴンと戦いました。おれが望んだことです。そして、謝罪は意味をなしません。あいつらの不自由は決まっています。そんなことより、あいつらが不自由の中で少しでも笑えることの方が大事ですから。罪悪感があるのなら、そのために尽力していただきたいです」
空護の口調は淡々としていて、少なくとも瑠璃を責め立てるような雰囲気はなかった。だが、その声は冷えていて、隣にいる康はどきどきしていた。
「あいつら、の中にあなたは入っているのですか?」
空護は目を見開き、耳をピーンとたてた。
「あなたは、報告書通りの方ですね。ぶっきらぼうで、不器用で、自分を勘定に入れない、それでいて、ひどく優しい。あなたの班長は、あなたのことをよく見ていたのですね」
瑠璃は子供に話しかけるように、優しく笑った。
「私は、研究所から送られてきたデータのほかに、佐川班長のあなたに関する報告書にも目を通してあります。あなたがどんな人か知るには一番いい資料でしたよ。後輩をかばって大けがをしたとか、先輩のためにデンジャーゾーンへ入っていったとか。あなたにあう前に、佐川班長に連絡を取ってみたんです。大神さんにこんなことを言ったら、なんて返すでしょうか、と。そうしたら、今のあなたと似たような回答が戻ってきましたよ。そしてこうも言ってました。『大神はあなたの謝罪もお礼も必要としてません。あなたがビースターを護ろうとしている事実で十分でしょう』と。だから私はあなたに会ってみたかったのです。お礼も謝罪も、私のエゴです。そんなことよりも、あなたのことをちゃんと見てくれていた人がいることを伝えたかったのです」
康がちらりと空護をみると、その顔は真っ赤になり、耳はぴこぴこと嬉しそうに揺れている。康は、自分の胸のあたりが温かくなるのを感じた。
「愛されてるね、空護君」
「う、うるせぇよ」
空護は口をむずむずと動かす。敏久が自分のことを気にかけていることには気づいていたが、こんな風に思われているとは知らなかった。胸がぎゅうっとなって、少し息苦しくなる。
「私はビースターの方々が少しでも幸せになれるように、全力をつくします。当然、その中にはあなたも入っていますよ」
「そうですか」
まだ照れくささが残っているのか、ついぶっきらぼうな言い方になってしまう。瑠璃は空護の態度の悪さもほほえましいというように受け流した。
「そして、あなた方にもう1つお話することがあります。ビースター反対派についてです」
瑠璃は憂鬱そうにうつむいて長く息を吐いた。
「反対派のトップは、本庁林政部長の野島泰輔。頭は切れる男ですが、その分性格が…。失礼、主観的な意見が過ぎましたね。有能な人ですが、ビースターの危険性をずっと訴え続けています。彼に関しては意固地になっている可能性もありますが、もう一人、要注意人物がいます。その名前は柊翔。彼に関しては、大神さんも存じていると思います…」
空護はその名前に聞き覚えがあった。自分の前にいた最強のハンター、柊翔。そして、10年前の鷲巣通り魔事件により、家族を失ったものの一人だった。
「柊翔さんは、 ドラゴン討伐のためにご協力いただいていました。特に、新開発したヴァルフェの使い心地を確認してもらっていたとか。その間に、彼は、ビースターの暴走により、家族を失ってしまった。その後、彼はハンターを辞めてヴァルフェの開発の協力もしなくなりましたが、ドラゴンの存在を知っているが故に、我々の会合には参加してもらっていました。しかし、彼のビースターへの恨みは強いままです」
空護は、ぎゅっとこぶしを握りこんだ。兄がしたことなのは分かっている、それでも自分にとって唯一の、あの優しい兄を恨まないで欲しかった。
「その二人に関しては、私が何としても説得します。だから、どうか早まらないでくださいね」
訴えかけるような視線で、瑠璃は空護を見つける。その瞳には、確固たる強さを感じた。
「…分かりました」
彼女は嘘をつく人ではないように感じたから、素直にうなずいた。結果として嘘になってしまう可能性は否めないのだけど。
「それで、他に言うことはありますか?ないのであれば、早く帰りたいのですが」
「ちょっと、空護君!」
「ふふっ。他のビースターのことが心配なのですね」
ぶっきらぼうな言い方の空護に対し、瑠璃は穏やかに返す。
「今のところ、私の方から言えることは以上です。何か進展があればまた連絡しますね」
「そうですか。では、失礼しますね」
空護はフードをかぶりなおすと、さっさと席を立ってしまう。
「ええ~、待ってよ」
康は慌てて空護の背を追いかける。
「島田さん。どうか大神さんの味方でいてあげてくださいね」
「ふっ、もちろんですよ」
康は自信満々に口角を上げる。その表情に瑠璃は満足げな笑みを浮かべていた。
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