(四・一)桜木町駅

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(四・一)桜木町駅

 ランドマークタワーを横目に通り過ぎて、右手には電車と高速道路が走り、左手には丸い大きな観覧車が見えた。大観覧車。観覧車は眩しい七色のライトが忙しなく点滅したり回転したりしながら、夜空を独占するように灯っていた。更にその眩しい光は、暗い海の面にも映っていた。そのまま歩を進め、桜木町駅の前に辿り着いた。わたしは立ち止まった。駅の前は行き交う人々でごった返していた。  さあここからどうしようかと迷った。港までもうそう遠くないのは、何となく分かる。と言うかもう海のそばまで来ているのだ。しかしそれでは余りにも、呆気ない気がした。それにまだ宵の口。時間だってまだ、いっぱいある。これでは持て余す程だ。どうしよう。そこで港に出るには少し回り道になるけれど、海と反対方向に行くことにした。とぼとぼと駅の高架下を通って、京浜東北・根岸線の線路の反対側、内陸側へと出た。そこはMM21側の華やかさから一転し、丸で別世界のように静かで薄暗く、人通りも少なかった。  わたしは構わず、そのまま歩き続けた。間もなくして大岡川という川と遭遇した。川沿いに桜の木が並ぶ桜の名所だった。しかし真冬の夜の今は、ただどんよりと暗く沈んだ街並が続くばかりだった。大岡川に沿ってJR関内駅の方角へ進んで行くと、暗い通りの端にぽつんと公衆電話ボックスの灯りが見えた。公衆電話ボックス。ずっと外を歩き続けていたわたしの体は、すっかり凍えていた。兎に角、寒い。木枯らし、北風が吹き荒れ、ただでさえ薄着のわたしに容赦なく襲い掛かる。それに歩き疲れ、正直もうくたくただった。何処かで休みたい。風を避けられる場所なら、何処でもいいから……。そんなわたしの願いに、今目の前にある公衆電話ボックスは、願っても無い場所に思えた。  わたしは急いで近付いた。ひとつしかないのなら、誰か来たら譲らなければならない。けれど幸い電話ボックスは三つ並んでいた。しかも全部空いていた。わたしは吸い込まれるように、その中のひとつに入った。中は決して暖かい訳ではなかったが、思った通り風だけは防げた。そのまましばらく、ぼんやりしていた。分厚い電話帳を置く棚に、電話帳は電話の上に置いて、軽く腰掛けながら。電話ボックスの暗い窓ガラスに目が行った。そこには如何にも寒そうに不安そうに震えながらじっとしている、孤独なわたしの影が映っていた。  外は人影も少なかったし、電話を掛けに来る人もいなかった。しかし結局の所、電話ボックスの中もやっぱり寒かった。下に隙間があって、そこからやっぱり風が吹き込んで来るのだった。それにじっとしているのも辛くなって来た。辛いのと寒さ。足の裏が凍り付くほど冷たくて、これならまだ外を歩いていた方が幾分ましなのではないかとさえ思える程だった。結局、何処にいても寒いのだ。暗い窓ガラスの中のわたしの顔はそんな物悲しいような、今にも凍り付くような表情をしていた。更に痩せこけていて、丸で骸骨のようだった。服を着た骸骨……。そんな自分の顔が嫌になったわたしは、外に出たくなった。寒いのは分かっているけれど、もう潮時、そんな気がした。  公衆電話ボックスの扉を開くと、木枯らしが吹き込んで来た。ふう、やっぱり寒い。しかし今更ここにとどまっていても仕方が無いし、いつまでも居られるものでもない。わたしは思い切って外へ飛び出した。再び凍り付く夜の街へと。  手袋をしていても指は氷柱のようだし、顔のマフラーで覆った部分以外を突き刺すように北風が襲う。相変わらず足の裏も冷たくて、わたしは震えながら歩き出した。ふうふうと吐く息も冷たく白かった。そんなわたしの凍えた背中を、京浜東北・根岸線が轟々と何回も追い越していった。電車の灯りは暗い街並を明るく照らしながら、幾度も通過し駆け抜けていった。
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