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数日後。
外回りから戻って来た後も仕事が立て込んでいて、珍しく一人で残業をすることに。
一通りの業務が片づくと、ストレッチしてため息をついた。
早く帰って新さんとまったりしたい。
お揃いのルームウェアを着て微笑む彼を想像し、口元が緩んだ。
……まだ信じられない。
新さんと、婚約したなんて。
恥ずかしくて会社ではつけていないエンゲージリングを、こっそり鞄から出して眺めていた時。
コツコツと足音が聞こえ、慌てて指輪をしまった。
「……お疲れ様」
「お、お疲れ様です!」
背後から現れたのは、朝比奈さん。
彼女はピクリとも口角を上げずに私を見据えた。
「あ、あの」
「……いつまで新の家に居座るつもり?」
彼女は辟易したようにため息をついた。
「彼の迷惑だって言ってるでしょ。お願いだから早く出て行って」
……どうしよう。
婚約したからって言うべきか。
でも皆にバレてしまったら。
「部下を家に連れ込んでるなんて知られたら、彼のキャリアに傷がつくと思わない? それも、貴方みたいなパッとしない平社員」
今の言葉は堪えた。
結婚だってそうかもしれない。
パッとしない部下の私が相手じゃ、皆困惑するかも。
……自信がない。
胸を張って彼の妻だと言えるのか。
……だけど。
「……嫌です」
初めて朝比奈さんにハッキリと自分の気持ちを伝えた。
「絶対に出て行きません」
もう、自分の気持ちからも、あの温かい家からも逃げない。
私の居場所は、新さんの家だけなんだから。
「ちょっと、いい加減に」
____「いい加減にするのは朝比奈の方だろ」
帰ったはずの新さんの声が聞こえ、驚いて固まる。
彼はふわりと私の肩を抱いて、朝比奈さんに微笑んだ。
「俺達結婚するんだ。だから一緒に住んでても文句ないだろ?」
「………………」
朝比奈さんは呆然と絶句する。
そして、キッと私を睨みつけるのだった。
「何!? そういうことは早く言いなさいよ!」
私に向かって怒りを露わにする朝比奈さんに、頭を下げるしかない。
「バカバカしい。もう勝手にすれば」
そう言ってフロアから去って行く朝比奈さんを、黙って見送るしかなかった。
「帰ろう、光花」
「……はい……」
微笑む新さんに笑い返せない。
複雑な気持ちだ。
朝比奈さんは、新さんのことを。
帰り道も黙ってとぼとぼと歩く私のことを新さんは苦笑した。
「そんな顔するなって。……仕方ないだろ。俺が愛してるのは光花だけなんだから」
そんな甘い台詞をさらっと言ってのける新さんに、爆発したように顔が熱くなる。
……申し訳ないけど、私だって新さんだけは譲れない。
「おっ流れ星」
「え!?」
彼の言葉に思わず夜空を見上げる。
だけど既に、夜空に流れる星は消えていて。
それでも心の中でお願いを唱えた。
「何かお願いした?」
「……秘密です。新さんは?」
「秘密」
手を繋いで家に帰ろう。
帰ったら、二人で温かいご飯を作って。
お風呂上がりにはアイスを食べて。
柔らかい毛布に包まって、眠るまで他愛もない話をして。
そんな何気ない、だけどとてつもない奇跡のような幸福を噛みしめて、再び夜空に感謝を込めた。
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