① 思い出の酢豚

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 私の言葉で珠子先生が振り返る。  珠子先生は何も見えないのか、「何もないじゃない」と笑った。  私にだけしか見えないの!? 私だけ混乱していると、水斗君は今だと言わんばかりに途中だった作業を続けた。  包丁でタマネギを切っているところだった。 「え、嘘!? 珠子先生、逃げて!」  水斗君に助けを求めようとしたけど、やめた。そして反射的に声を出した。  珠子先生の背後から、透けた人間が飛びかかろうとしていたのだ。  私の大声は意味なく、その透けた人間は珠子先生の中に入ってしまった。 「え……どうなったの?」  私はポツリと声を出した。  さすがの水斗君も、一度包丁を置いて、珠子先生を見ている。  透けた人間は消えてしまった。  そこには、表情が暗くなった珠子先生のみが立っている。 「ね、ねぇ、珠子先生に何が起きたんだよ?」  水斗君が、私に聞いてくる。私にだってわからない。  何も答えられずにおびえていると、珠子先生がイスに座って、小声で話し始めた。 「お腹……空いた」  お腹が空いたって? それって、珠子先生の意見? それとも透けた人間?  うつろな目をした珠子先生は、水斗君を見ている。  それを聞いた水斗君はニヤッとしながら、「なーんだ! 珠子先生もオレの料理が食べたかったんじゃん!」と言って喜んだ。 「酢豚……が、食べたい」  珠子先生からのリクエスト。  酢豚って……それはレベルが高くない? お母さんでもなかなか作らないのに、水斗君に作れるの? 「酢豚か! 食材あったっけなぁー」
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