酔っぱらいと帰り道

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 昼よりは涼しい。車の窓を開けてみたけれど、失敗した。湿気が多くて、息が詰まりそう。  窓を閉めて冷房を入れ直そうとしたところで、駅からその姿が見えた。 「あ、すーちゃーん!」  駅の階段を降りてくるその影が、ぶんぶんと大きく腕を振った。それを支える人が伴ってぐらぐらと揺れている。  家路に着こうとしているサラリーマンたちがこちらに注目する。あの酔っぱらいめ。  二人がこちらに近付き、助手席に酔っぱらい東雲(しののめ)は放り込まれた。放り込んだ栄生(さこう)が顔を出す。 「鈴元(すずもと)、悪いな」 「いやこちらこそ。乗ってよ、送るから」 「恩に着る」    東雲はシートベルトを締めるとすこーっと眠り始めた。送迎専用タクシーだと思ってやがる。  溜息を吐いて私は窓を閉めた。  後部座席に乗り込んだ栄生を確認して、車を発進させる。 「飲み会は楽しかったの?」 「まあただの同期会だった」 「良かったねえ」 「そこの酔っぱらいは終盤寝てたけど」 「うわあ、女子たち引いてたんじゃない?」  赤信号で止まる。あ、栄生の家は左か。ウィンカーを出す。 「最初のうちは可愛いって言われてたけど」 「え、この酔っぱらいにそんな需要が」 「この酔っぱらい、酒が入らなければただの仕事の出来る会社員だからな」 「頭と顔だけは良いもんねえ」 「でも帰りに女子が送って行くって言ってくれたのに対して『すーちゃんと帰る』の一点張り」 「……嘘でしょ」  沈黙が、肯定を伝えてくる。  青に変わって発進する。  私たちは少学校が同じの幼馴染だ。  内二人が同じ会社に勤めているんだから、社会は案外狭いのかもしれない。  まあ二十年経ってもこうして酔った二人を迎えに行ってるのだから、私の社交性も狭いのかも。  栄生は苦笑いしながら窓の外を見ていた。 「シノ、酔うと鈴元のおかげだって話ばっかりしてる」 「それ、私は聞いたことないし見に覚えもないんだけどねえ」 「俺も詳しい内容言う前にいつも落ちるからよく知らん。あ、ここでいいよ」 「コンビニでおろすよ」 「さんきゅー、助かった。てかシノ、置いてって大丈夫?」 「うん。家の前に転がしとく」  けらけらと笑っている。コンビニに車を停めると、栄生は颯爽とおりていった。 「じゃーなー、今度飲もうぜ」 「そうしよ。近所でね」  ひらひらと手を振り、別れる。  ハンドルに腕を乗せてその後ろ姿を見送った。  視線を隣へ移す。 「起きた?」 「起きないと転がされるらしいから」 「じゃあ出発しまーす」 「つか順番逆だろ」 「え?」  エンジンをかける。窓にもたれながら東雲が言うので、聞き返した。 「だーかーらー、普通寝てる俺を送ってから栄生だろ!」 「うるっさいな、酔っぱらい。栄生の方が駅から近いんだから先でしょ」 「すーちゃんさー、そんなんだから」 「なに」 「いや、何でもない」  はー、と溜息を吐かれる。なんだか納得がいかない。  先程の道を左折して、直進。田舎の道は真っ直ぐなことが多い。 「ていうか、毎回シノは私に何の感謝をしてんの? おかげってなに?」 「えー忘れた」 「嘘つけ」 「鈴元も俺の質問に答えるなら」  酔っぱらいのくせに交換条件を出してくる。ていうか、人の迎えの車に乗っておきながら。  東雲は漸く真っ直ぐシートに収まった。 「おっけー、条件を飲もう」 「俺さ、むかし割り算が出来なかったんだよ」 「……え? んー、へえ?」 「全然覚えてないな?」  いやだって、中学でも高校でも学年トップを何度も取っていて大学も三人の中で一番偏差値の高いところへ行ったこの東雲が。  割り算ができない時期があったとか。  俄には信じられない。 「すーちゃんが、俺に割り算教えてくれたんだよ」 「う、え、く……え?」 「どっから声出てんの」 「それに感謝してくれてんの? 今でも律儀に?」  赤信号で止まる。 「それが無かったら俺はずっと算数が嫌いで数学が嫌いで勉強が嫌いなままだった」 「んな大袈裟な」 「次は鈴元の番。お前さ、いつになったら栄生に()うの?」 「言うって、なにを」 「好きなんだろ」  青に変わった。驚いてアクセルを踏むのを忘れ、後ろからクラクションを押されてしまった。  急発進に、ぐんっと東雲が前のめる。 「おいこら危険運転」 「怖い怖いなに言ってんのこの人」 「はあ? いつも栄生と仲良く喋ってんじゃん。俺が気を利かせて寝てやってるし呼び出してんのに」 「それは迷惑だから。ちゃんと気付いた方が良いよ?」 「今日も来てるくせに」  ぐ、と言葉が詰まる。右折すれば東雲の家だ。これ以上何か突っ込まれる前に、早く送り届けよう(車から降ろそう)。  私は黙って右へと曲がった。 「ご到着しました、お降りくださーい」 「まだ答え聞いてませーん」 「栄生に告白なんてするわけ無いでしょ。ていうか送迎呼んでとか、頼んでもないし」 「あーそうですかー。じゃあ今度は栄生と二人きりにしてや、」 「私は、東雲が呼んでるっていうから、来てるの!」  ハンドルを掴んで、言ってしまった。  言って、しまった。  車内がしん、とする。  ……地獄だ。  栄生にやっぱり来てもらえば良かった。 「え?」  いや、全然伝わってない。やっぱり大丈夫。  パッと手を離して、息を吸って吐いて落ち着く。相手は勉強しか好きじゃない東雲なのだから、こんな言い方で伝わるはずがない。 「はい。話し合いは終了です。早く降りてください」  シートベルトを外して、ロックを解除した。東雲の背中を窓の方へ押しやる。 「いや、ちょ、すー」 「その都合が良いときばっかりすーちゃんって呼ぶのも止めて。てかもう迎えになんて来ないから。早く降りて」 「すーちゃん」  いつからそう呼ばれていたっけ。  小学生のときからだった気がする。それは中学になっても高校になっても大学になっても今でも変わらない。  肩を掴まれ、そちらを見る。  東雲を好きだと栄生に気付かれて、こういう順番で家に送ることになった。 「もしかして、栄生のことは好きじゃない?」 「それは」 「もしかして、すーちゃんが好きなのって俺?」 「あの」 「俺、お前のこと好きなんだけど」  頭と顔だけは良いなんて、嘘だ。  東雲は昔からちゃんと自分の気持ちを自分の言葉で伝えられる人で、私はそれが羨ましくて憧れて、好きだと思った。  どうしようもなく。  いつも、溢れそうになるそれを、隠して。 「返答は」 「え、へ、へんとう?」 「多分ライトですーちゃんの車が家に停まってるの知られてるから、遅すぎるとお袋出てくるかも」 「わ、私も好きですけど!?」  東雲母が出てきたらどうしよう、と心臓が嫌な方に高鳴り、返答してしまった。ときめきも何もありはしない。  言ってしまえば脱力感に襲われる。魂が口から半分出ていった。 「鈴元」 「……はい」 「すーちゃん」 「だから、なに……」  未だに降りない東雲の方を見れば、顎を掴まれて唇が柔く重なった。  すぐに離され、睫毛の触れそうな距離で視線が交わる。 「これからも、末永く、よろしく」  にこ、と少年のような、嬉しそうな、東雲の笑顔が見られた。
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