死に至る花の病

2/21
29人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
 兄が死んだ。  僕の兄は、長らく『花現病』と俗に言われる病いで隔離されていた。 僕とは一歳違いの兄である茨木(いばらぎ)は、高校一年生の頃には、既に実家の離れで暮らしていた。僕は接触を禁じられたが、元々別行動が多かったので、特別な寂しさは抱かなかった。隔離以前に僕達が一緒に行動していたのは、月に一度ほどで、それは習い事の時だった。僕達兄弟は、華道を習っていた。先生は、神門絢瀬(みかどあやせ)さんと言った。絢瀬先生は、当時二十代後半で、僕達が中学三年生の時に、不慮の事故で亡くなった。以降、僕達に共通していた習い事は消失したし、その後すぐに兄は発病した。  ただ、本来花現病は、死に至る病いではない。  世間では幻の奇病と言われ、存在すら疑問視される事も多いのだが、平安より連なる、僕と兄が生まれた華頂(かちょう)家では、時折罹患者が現れていたので、別段珍しくはなかった。華頂家の場合は、花現病の亜種が遺伝病としてあるようで、きっかけはまだ判明していないのだが、発病すると、怪我をした際に出る血液が、花びらに変化する。不思議なもので、吐血や喀血、鼻血の場合は花にならない。刺し傷や擦り傷、切り傷といった、皮膚が傷ついて血が零れた場合のみ、それが花びらになる。ただごくまれに、非常に重篤な場合、内臓から出血したものが、体内で花びらとなり、全身の皮膚の内側が花びらで埋め尽くされて、死に至る事があるそうだ。僕の兄の場合は、まさにその症状だった。だが大半の場合、記録に残っている限り、花現病になっても死ぬ事は無いという。ただ――自然治癒した例は、とても少ないそうだ。  病気になる理由が分からないから、僕も感染したら困るとして、僕は兄から隔離された。とはいえ、正直楽観視していた。死ぬわけがないと、僕だけでなく家族や、使用人と言った周囲も思っていた。  そのため兄は、次期当主として、専門の教育を受けていた。これもまた、元々別行動をしていた理由だ。僕には当主教育は無かったので、僕は普通に義務教育を経て、高校から医大へと進学し、現在は大学病院の医局に勤務している。どちらかといえば、僕は科学的なものを好むし、日常的に白衣を纏って、薬品の香りを嗅いでいる。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!