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「今、狙っているのは、坂下商会のお嬢さんなんだけどさ」
社長が振り返り、書類を差し出しながらなんなく言い放つ。
「まだ返事は貰ってないけど、今のところはイイ感じなんだよ」
ふぅと小さくため息、そして「今のところはね」と強調する。
私は差し出された書類を受け取り、窓際のキャビネットへと向かった。右上引き出しを引き出す。中からひとつのファイルを取り出し、そこへと書類を滑り込ませた。
「社長、私色々お調べ致しましたが、社長のそれ、『蛙化現象』ってやつではありませんか?」
「カエルカ……? え? なにそれ?」
「主に女性によくある現象なんですが、片想いが両想いになった途端に、相手に対して嫌悪感を抱いてしまう、とまあそんなところです」
「そうそれ! ビンゴ! そうなんだよ、アプローチしてやっとこさ付き合うってなっても、なーんか冷めちゃうんだよな」
「冷めちゃう……そうなると少し『蛙化現象』の定義からはズレてしまうようですが……」
「それまでは大丈夫だったのに、付き合ってデートってなった途端にだ。で、食事の仕方とか見るとマジでうわ、って思っちゃうわけよ。嫌悪感っての? なんなんだろうな、あれは。病気かな」
「はあ。とりあえず、坂下商会のお嬢様、確かお名前は『坂下夕実』様でしたね、その方にご連絡はいたしますが」
「うん。さすが俺の秘書だ。今度夕食をご馳走することになっているからアポの方よろしく。それと、とにかくそのカエルなんとやらをなんとかしてくれ」
「承知しました」と社長室を出た。
私、『谷口千景』26歳は、経営コンサルタント企業『sunrise』の社長『当麻祐樹』の秘書をしている。契約企業の業績を上げるよう業務改善のアドバイスをしたり、適した人材を派遣したりするのだが、契約している企業もなかなかに多く、業績も良いし優良企業に間違いはない。が、いかんせん社長が女たらしの変わり者ときている。
(正直、社長のお守りも大変だ……)
私は黒ぶちメガネをくいと直す。
そうは言っても、だ。この変わり者社長のお世話代も含まれているのかというような、稀に見る高額なお給料はいただけている。
「……だから辞められないんだよね」
お金はたくさんあった方が良いに決まっている。貯金も順調。食いっぱぐれることもなし。
(蛙化かあ)
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