画家と竜

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画家と竜

竜のウロコから反射したであろう太陽光が目を射抜く。目の奥が焼けるように熱くなった。 「っ、う」 「マイケル? どうしたの。大丈夫?」 「ああ、いや、ちょっと……」 目を閉じて、開く。 違和感はもうない。 しかし異質なものがあった。 僕の周りにある風景は、すべて魔力で幻想的に輝いていた。妖精の居住区が近いからとか、そういうものじゃない。世界は元々こうなんだ。理屈のない根拠が確信になる。 太陽から降り注ぐ魔力が柔らかく僕達を包み込む。平原は陽光を受けて様々な色の魔力を身にまとっていた。萌芽の匂いすら嗅覚を爽やかにくすぐってくる。妖精達にも、僕にも魔力がある。循環して確かに、ここにある。 「ローズ。先にイメージを固めてもいいかな」 「いいけど……具合は大丈夫? 休む?」 「平気。ちょっと目に(ほこり)が入っただけだよ」 「それならいいけれど」 「ローズ。ビールをもらってもいいかな」 「どうぞ。他にはなにか食べる?」 「大丈夫だよ。集中するから無愛想になるかも。ごめんね」 「いいのよ。真剣に作業してる姿を見るのは好きだから」 ありがとう、と礼をいって空になった水筒を渡した。 ホフマン先生の言うとおり、僕は見えていなかった。 この美しい世界で不貞腐(ふてくさ)れているのは僕と竜だけ――。 それはとても惜しい。目の前の風景をスケッチしていく。 描いて描いて描いて描いたとき、目の前が暗くなった。同時に様々な光で照らされる。 背後から虹色の竜が興味深そうに僕の絵を見ていた。竜がまとった虹色の魔力は、少しまぶしい。 「こんにちは。今から下書きと色塗りをするんだ。絵を描きにくいから、ちょっと避けてくれるかな」 「あぎゃう」 理解したと言わんばかりに竜が数歩だけ横へずれた。太陽の光が僕とキャンバスを柔らかく照らす。スケッチしたものを別のイーゼルに立てかけて、目まぐるしく移りゆく魔力の流れを描写していく。 風の流れも太陽光も、葉っぱのこすれる音にすら魔力は宿っている。一瞬で移り変わる魔力とともにある、綺麗な風景を誰かと共有したい。何が理由なのか分からないけれど、()ねてしまった竜にも見てほしいと、そう願った。 深呼吸して、意識の奥底に深く深く潜っていく。 集中するのは水に潜るのに似ている。僕の場合は集中すると音も聞こえず、息もできず、ただ景色だけが見える。研ぎ澄まされた感覚に従って筆を動かせば、面白いようにイメージが具現化していった。 保護ニスを乾かす魔法の維持すら苦でなくなったころ、肩を叩かれる。集中力が途切れて、僕は意識の水底から顔を出した。肩で息をする僕が見たのは、完成された風景画の横で優しく笑うホフマン先生だった。虹色の魔力をまとっていて、ものすごくまぶしい。 「こんにちは。マイケル。いい天気だね」 「えっ? なぜ先生がここに? いつから?」 「まあ、それはまた後日」 「あの、できれば教えてくださると嬉しいのですが」 「ミステリアスな画家の秘密を暴くのは容易ではないよ、青年」 僕の話をそらさないでほしい。 雲の上の方だ。今後会う機会は皆無に等しいだろう。 先生はキャンバスを眺め、ひとつ頷いた。 「ところで、この風景画を頂いてもいいかな?」 「もちろん。あっ、でも先に見せたい方がいまして」 あたりを見渡すが、竜はどこにもいない。 「それなら大丈夫。今、見ている」 「えっ? 透明になったって事ですか」 ローズ達を見るが「誰としゃべってるの?」と不思議そうだった。 妖精達に先生の事は見えていないらしい。どういうことだろう。 「では、頂いていきますね。代金は後日支払おう。それでは」 先生がみるみるうちに先程の竜へと変わり、風景画をつまんだ。大切そうにキャンバスを抱え雲の上へ飛び去っていく竜を、僕達はただ見上げる事しかできなかった。 先生が竜で、竜が先生で。なにもわからない。後日ってことは会う機会があると考えていいんだろうか。 「ご機嫌(うかが)いは成功したみたい! よかったわ!」 「……そうかもね。用事も済んだし、ピクニックして帰ろうか」 「そうね! 楽しみましょう!」 周りを妖精達が飛び交う。和やかな雰囲気のなか小さなパーティーが開かれ、夕方に解散した。転移魔法でアトリエに帰る。 否応なしに視覚が刺激され、僕はしばらくベッドで横になった。魔力の流れが淀んでいる。筆やパレット、そして床にこびりついた絵の具の臭いもすごい。今度掃除しよう。 玄関のポストに手紙が投函されていると、ローズが持ってきてくれた。暗視の魔法を使い、開封した手紙を読み終える。 「明日は朝からホフマン先生のところへ行って来るね」 「さっきのお手紙?」 「うん。二次面接だって」 「ええっ! すごいじゃない! おめでとう! でも、どうして?」 僕もよく意味がわからない。しかし、思い返せば確かに「不合格」とは言われていなかった。ただ追い出されただけだ。 「意地悪な方だなぁ……」 「でも、よかったじゃない! 頑張ってきてね!」 「うん。それじゃあね、おやすみ」 挨拶を交わし、すっかり綿が薄くなったベッドに改めて潜り込む。不安と緊張の一夜は瞬く間に過ぎ、朝になった。 持っている中で一番上質な服を着る。体や衣類を清潔にする魔法をかけ、くすんだ鏡で髪型をチェックした。 「寝癖なし。それじゃあ、行ってきます」 「いってらっしゃい!」 一昨日と違うルートで館へと向かう。あまり暗いところを歩きたくなかった。魔力が視認できるようになった瞳には、何もかもが輝いて見えた。虹色のうねる魔力が導くように僕を先導していく。ホフマン先生のものだろうか。 一昨日と同じように受付の方が――いや、あれはホフマン先生だ。 「先生! おはようございます」 「おはよう、マイケル。来賓室で話そうか。おいで」 大きな館のドアが音もなく開いた。誘われるまま長い廊下を歩く。豪華な扉が開かれる。室内には、僕が持ち帰らなかった油絵の数々が額に入れて飾ってあった。昨日先生に――いや竜に――差し上げた風景画なんて、一番豪華な額に入れられて、一番目立つところで誇らしげにしている。 「えっ、あっ、うえぇっ?」 「勝手な事をしてすまないね。どれも良い絵だったので飾らせてもらったよ。代金はのちほど支払おう」 「ら、来賓室に飾られるほどの出来栄えでは――」 「あなたは自分と作品を安売りしすぎです。これはなかなか描けるレベルではありませんよ。自信を持ちなさい」 「ありがとうございます」 まだ動揺している僕がソファの方へと手招きされる。着席したソファはもちもちふわふわで、とても座り心地がいい。先生が淹れたグリーンティーはほのかに甘く、緊張で乾いていた喉を潤した。 「私はずっと後継ぎにふさわしい原石を探していました。幸運にも見つかりましたので、こうして招待したのです」 これは全ての作品の代金です、と一枚の紙が上質なトレイに載せられたまま渡される。小切手が置いてあった。 「金貨5000枚だなんて。こんな大金いただけません!」 「そのために、パトロンになってもらいたいがために応募されたのでしょう?」 「それはそうですが、この前は追い返されましたし」 なぜ二次面接に進めたのか分からないと(こぼ)す。 ホフマン先生は意地の悪そうな笑みを浮かべた。 「君の目はまだ『開いて』なかったからね。その証拠に、昨日とそれより前では、風景が違って見えるだろう?」 「はい。魔力が見えます。開くって、つまり魔力が見える目になるという認識でいいんでしょうか」 「そうだよ。500年に1人生まれるかどうかの、世界を見る目を持つ者が君だった。目は大事にね」 うん、かなりスケールが壮大すぎる。 先生は立ち上がると、昨日と同じように竜の姿へ変わる。 「臆病な種族である妖精に愛され、竜を見ても目の色を変えず、自身の変容を受け入れ、世界を慈しむ者」 竜は一歩踏み出し、足から徐々に人の姿へと戻った。 「マイケル・レスター・スタインハウアー。私はあなただからこそ、パトロンとして支援したいのです」 「……ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」 「こちらこそ。ようこそ、マイケル。あなたを歓迎します。支援を締結・継続するために、これから金貨5000枚以上の純利益を稼いでくださいね」 「…………期限などは」 「準備や勉強の期間も必要だろうし、まずは5年にしようか」 「……善処します」 これからよろしくお願いしますねと差し出された手を、しっかりと握りしめた。僕と先生の手に虹色の光がきらめき、契約の締結印が手の甲へ刻まれる。これでもうこの責任からは逃げられない。心地よい重圧が背筋を駆け抜けた。 買いたい技法書はいくらでも買えるし、見聞を広めるために旅に出たっていい。金貨5000枚の純利益を、先生に支払えば、また支援してくれると。画家として有名になるまでは、これを繰り返すんだろうな。 館を出て、夢見心地のまま大通りを歩く。ソファのふわふわとした感触が靴の裏に張り付いたような感覚だ。銀行に立ち寄って小切手を現金化し、いつもより多めに預金を降ろす。 馴染みの屋台で贈答用のブドウを一房買い、魔法で身体能力を強化し、最短ルートで走ってアトリエに帰る。ローズはアトリエの外壁を掃除しているところだった。 「ただいま。ねぇ、ちょっといいかな。中で話したい」 「おかえりなさい! いいわよ。どんなお話なのかしら」 ローズを中に招き入れ、アトリエの鍵をかける。 館での事をすべて話すと、ローズは文字通り飛び上がった。そして僕の片腕に抱きついてくる。 「おめでとう! あなたの努力が正当に評価されて、自分の事みたいに嬉しいわ!」 「ありがとう。いつも僕を支えてくれた君のおかげだよ」 「うふふ、どういたしまして!」 「それと……お土産を買ってきたんだ」 贈答用のブドウを差し出すと、彼女は再び飛び上がった。 「覚えててくれたの?」 「約束だからね」 「あのね、今すごく嬉しいわ。ありがとう」 目の前で華麗なステップを踏むローズの前に、そっと手を差し出す。彼女もそれに応じて手を重ね合わせてくれた。 「これからも一緒に頑張りましょうね、マイケル!」 「こちらこそ。これからもよろしくね」 暗く、油絵の具とニスの匂いが強く香るアトリエの片隅で、僕達の小さな約束が新たに結ばれた。
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