画家と妖精

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画家と妖精

花と芸術の都とは名ばかりで、一歩脇道に入れば店を構えることのできないアーティスト達であふれていた。いくつもの作品を入れた肩掛(かたか)けカバンが売り物に当たらないよう慎重に歩いていく。 「お兄さん、絵を見ていってください。どれも頑張って描きました」 「いいね。じゃあ、これを貰おうかな」 「ありがとうございます! 銅貨5枚になります」 同業者のよしみで、黒パンとスープの描かれた小さな絵を1枚買う。報酬として、銅貨をもう5枚渡す。彼は嬉しそうに何度も頭を下げてきた。手を振って別れたあと、他にも引き留めようとしてくる物売りたちの合間を、魔法でほんの少し強化した脚力ですり抜ける。あっという間に大通りへと出た。 太陽の眩しさに目を細めていると、懐から1人の妖精が顔を出した。 「んもぅ。マイケルったら。あなたは人に(ほどこ)すほど余裕があるの?」 「さあね。でも、彼のオヤツ代にはなるよ」 標準的なブドウ一房より小柄な妖精が、僕の周囲を飛び回る。怒るというよりは、からかっている表情だ。彼女の銀髪が僕の耳をくすぐった。 「朝からお腹を空かせてる画家さんは、どこの誰だったかしらぁ」 「いいじゃないか。おかげで自信作がこんなに描けた」 「売れた絵の代金を、8割は絵の具につぎ込むんだもの。体調は大丈夫?」 「問題ないよ」 力作で膨らんだ肩掛けカバンを軽く(たた)く。この街で一番の資産家で、都の顔と言ってもいい画家から投資してもらって作品制作に没頭する――。アーティストなら誰もが憧れる生活だ。認めて貰えれば知名度も上がり、ゆくゆくは個展を開催できるかもしれない。 「この日のために3ヶ月かけて作ったんだ。きっと大丈夫」 「目標があるのはいい事よね。応援してるわ」 「ありがとう」 屋敷の前には楽器を持った人や陶芸作品を大事そうに抱えている人、もちろん僕のようにキャンバスを手にしている人達が行列を作っていた。受付の方に書類を確認してもらい、最後尾に並ぶ。 「どうしよう、ローズ。緊張してきた」 「頑張りなさい、男の子でしょう」 「うん……」 「はい鏡。最終チェックするといいわ」 魔法で形作られた鏡に顔を映して、髪型を確認する。赤い髪は肩口で切り揃えられ、同じく赤い瞳からも決意を感じる。肌の色も血色がいいし、健康面で落とされることはなさそうだ。服もいいものを選んだし、不快感はあたえないだろう。 「ありがとうローズ」 「もう大丈夫? 落ち着いた?」 「こんなに素晴らしい絵描きが目の前にいて心強いくらいさ」 「どこかしらぁ、全然見えないわ〜〜」 軽口を叩き合っていると、馴染みの屋台が列に並んだ人たち相手に商売をしていた。 「よぉマイケル。今日は暑いぞ、美味いブドウジュースはいらんか? 今日は一杯で銀貨1枚の大特価だ」 「ぼったくりだ」 「時価と言え、時価と」 断ろうとしたとき「いいなぁ、ブドウジュース……」と、肩口でローズの声が聞こえた。さっき絵画を買ったため、手持ちは銅貨3枚しか残っていない。 「悪いね、手持ちが無いんだ。僕達は要らないよ」 「そうかい。干からびないように頑張りな」 屋台の親父は、すぐに別の相手へと標的を変えた。 ローズはというと、完璧に落ち込んでいる。よほど飲みたかったらしい。 「ごめんね。今度お金を降ろしたら、高級なブドウを一房買ってくるから」 「約束よ?」 「うん。絶対に買ってくる」 長かった影が最も短くなり太陽が真上に昇るころ、ようやく僕の順番になった。ローズには外で待機してもらって、館へと入る。メイドの方に長い廊下を案内される。 「こちらでございます」 「ありがとうございます」 震える手を(はげ)ましながら扉を開ける。茶髪に少し白髪の混じり始めた癖っ毛の中年男性こそが、画家のホフマン先生その人だ。 「ようこそ。君はどんなアーティストなのかな」 「はい。僕は――」 形式通りの挨拶(あいさつ)と自己紹介を終える。作品を並べられたイーゼルに立てかけ終わったところで、「君はまだ見えていないね」とだけ言われ、部屋から追い出された。 どうやって館の外へ出たのか覚えていないが、気づいたらローズが目の前にいた。 「ちょっとマイケル。目が虚ろよ。なにか言われたの?」 「……別に、なにも」 「たくさんの自信作は? カバンがぺっちゃんこじゃない!」 「あーー……」 置いてきてしまった。いくつもの駄作を。受付の方に再入館したい旨を伝えたが、許可されなかった。やる気も夢も自信も、なにもなくなった。 僕の努力は間違っていたか、そもそも足りなかったのだ。 「顔色が悪いわ。……大丈夫? なにか困ってない?」 「ない。帰って寝る。ご飯はダイニングにあるから、適当に食べておいて」 その日は食事も喉を通らず、アトリエの床で不貞腐(ふてくさ)れて寝た。 起きたときには昼になっていた。外が明るい。光を嫌う虫のようにシーツにくるまった。隅の方で天井を見つめていると、キッチンからシチューの匂いがしてきた。 「マイケル、起きた? お皿を持ってきてちょうだい」 「……着替えたら行く」 ローズが魔法で作ってくれたらしい。彼女の種族は果物しか食べないから、これは僕のための食事ということになる。継ぎ接ぎだらけの服に着替えながら、体を清潔にする魔法をかけ、身なりを整える。それだけで僕の魔力は五割を切った。 「さあ、召し上がれ! 元気もやる気も食べなきゃ出てこないわ」 「ありがとう。いただきます」 黒パンとシチュー、そしてビールの食事はすぐに終わった。ローズが残ったシチューと黒パン、それからビールとウサギ型のりんごに保存魔法をかけてバスケットに詰めている。 「どうしたのローズ」 「気分転換にピクニックしましょう。いい場所を知ってるの」 「……それは楽しみだ。準備してくるよ」 彼女の好意を無下にはできない。強がってそうは言っても気分は乗らないし、絵を書くための道具以外に用意できるものはなかった。いつもの肩掛けカバンにクロッキー帳と鉛筆を入れ、バスケットを詰め込んだらローズを待つ。 彼女が優雅なステップを踏むたびに、軌道が光の帯となり床に魔法陣を作り上げていく。花が咲くような香りがすれば魔法陣は完成だ。 「ほらマイケル、はやくはやく」 ローズとともに魔法陣に乗ると、浮遊感とともに視界が明滅した。暗く、油絵の具とニス特有の匂いがしみついたアトリエから、陽光で照らされた緑豊かな草原へと転移する。 そこは虹がいくつもかかり、彩雲がいたるところに浮かんでいる、夢のような場所だった。鼻をくすぐる香りは、ローズが好きな金木犀(きんもくせい)に似ていた。少しだけ胸がざわつく。 クロッキー帳以外も持ってくればよかった、なんて。 さっきまであれだけ凹んでおいて、図太いどころの話じゃない。プロの画家として、どの程度なのかは分からないが、立ち直りの速さなら群を抜いているだろう。結局のところ、僕は根っからの絵描きということらしい。 僕の頭上を何人もの妖精が飛び交う。何事かを話しながら、星の形をした葉っぱや金色のどんぐりを手渡してくる。 妖精語はわからないけど、歓迎してくれているのかな。 「マイケル! ねぇ、見て、あそこ!」 「どうし……なんだい、あれは」 「私達の守護竜なのよ。()ねちゃったんですって」 雲すら貫こうという高い高い木の途中に、虹色の竜がひっかかっていた。なにも言われなければ大きく綺麗な布だと思っただろう。 「芸術が好きな御方なの。よかったら機嫌を取るのに協力してくれない?」 「……彼が拗ねることでどんな不都合があるのかな?」 「私達が困るわ」 「それもそうか。うまく描けるか分からないけど、引き受けるよ」 「決まりね! 道具なら転送魔法で持ってこれるから。待ってて」 言うが早いか空中に描かれた魔法陣の中央が不透明になり、そして向こう側に僕のアトリエが見えた。 「いつもの画材と、なにか必要なものはある?」 「椅子が欲しいかな」 「まかせて」 魔法陣の穴が大きく広がり『いつもの画材セット』と椅子が草原へと運び込まれた。陰湿なアトリエが居場所の僕と、日差しが柔らかく、なにもかもが美しく見える草原はとても不釣り合いに思える。
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