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「ちょっとおセンチなだけよ」
「本当に?」
手を握り、問い質した。
妻はグラスを置くやそんな私の頬を撫で、困ったように微笑みながら頷いた。
「本当よ。只ね、柚希も功も家を出てしまって、貴方と残り何年一緒に居られるのか考えたら寂しくなっただけ…。こればっかりは順番だから…」
そんな理由に私は、はっとさせられた。
私も妻も、もういい歳だ。
老いはどうしたっても忍び寄り、順番からすれば私は妻よりも先に旅立つことになるだろう。
「私ったら駄目ね…、功の結婚式の日なのに…」
目を細め、妻は愛おしげに私の手に頬擦りする。
皺ばかりになった無骨な手に伝わる妻の温もりは、忘れ掛けてさえいた胸底の炎に熱を焚べた。
「そんなことないよ…」
慰めながら私は妻を抱き寄せ、新婚時代にしていたようにその額に口付けを落とした。
出会った時には既に、私は決して若くはなかった。
その分、妻は私との時間を大切にしてくれた。
日頃は気丈な癖に寂しがりで、肝っ玉母さんかと思えば、些細なことで砕けてしまう繊細な人で―――。
もっと早くに出会えていればと思って止まない程に堪らなく愛しくて愛しくて―――、そんな彼女に出会えた私は、この世でどれほど幸せな男なのだろう。
「出来る限り、元気に長生きするから…、だから、これからも宜しくね」
その台詞は、かつてこの場所で愛を囁きながら交わした誓いだった。
そっと指を絡めて再びの約束を交わす私に、妻は甘えるように身を傾け、安堵するように目を伏せた。
「そちらこそ、末永くお願いしますね。貴方…、愛してるわ」
囁く声は穏やかに温かく、私の心をゆっくりと満たした。
降り続いていた雨は気付けば上がり、俄に部屋を照らした斜光は、芳しい琥珀の中へと溶けゆく氷をカラリと鳴らした。
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