揺れる草舟

9/9
前へ
/9ページ
次へ
*** 「何事?」 「水野の靴が川に投げ落とされたらしい」 「なんで?」 「どうせ水野が何か言って怒らせたんだろう」  彼女のような生き方をすれば、多かれ少なかれこういう状況には直面することになる。だから誰もが逆らわないのだ。 「ほら、早く川に入って拾って来いよ」  今の時期は冬。気温や吹いてくる風だけでさえ寒い季節に、冷たい水が敷き詰められた川になど入れるわけがない。風邪を引くか、最悪の場合は死ぬ。  そんなことできるはずがないと、誰もが思っている。 「……」  だからこそ彼女は笑うのだ。 『自分たちの思い通りになると思ってる、そんな人たちに石を投げ込んでやるのが好きなの』  彼女がフェンスを乗り越え、川に飛び込む。 「あいつ、ほんとに川に飛び込みやがった」  その川は真ん中は溝ができていて深く、端の方はまだ足はつく。  彼女の靴は川の真ん中で浮かんでいる。 「おい、大丈夫なのか?あいつ」 「この寒さだよ?死んじゃうって。ニノ助けてあげなよ」 「俺に死ねって言ってるのか?」  端に下りた彼女の胸よりも下はすでに川の中にある。  そして大きく息を吸い込み、彼女は真ん中の方に飛び込んだ。 「……」  汚れ切った川の水で彼女の姿が見えなくなる。 「おい……」  不安の声があちらこちらで聞こえる。  少し経って彼女が靴を掴み、川から顔を出す。もう一度潜って端の方に移動し、溝の側面に掴まって顔だけ水面から出した。  そして、大きな声で叫んだ。 「ざまあみろっっっ!!!!!」  ざわざわとしていた辺りが一斉に静まり返る。 「……」  確かに揺れていた。  てっきり彼女が石を投げ込んできたからだと思っていた。 「ササ?」    確かに揺れ動いていたそれは水面なんかじゃなく、僕自身だったんだ。 「ざまあみろ……」  波風立たぬ退屈な日々よ、サヨナラ。 「おい!」  フェンスを飛び越え僕も真冬の川に飛び込んだ。  一度僕の体全部が川の中に沈む。その愚かな行動に後悔はなかった。  彼女のもう片方の靴を手に取り、そのまま泳いで端の方へ向かい、溝を乗り越える。 「……」  腰より下は川に浸かったまま、僕は顔だけを出す彼女に手を伸ばした。 「……」  彼女は笑った。  ガクガクと震える僕に対してなのか、あるいは。 「どう?気分は?」 「いいね」  どんな時もただ流されず、自分のやりたいように流れに逆らって生きていく彼女。  ただ純粋に、そんな生き方を僕はかっこいいと思ってしまったんだ。

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加