遠い日の約束

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遠い日の約束

 君は幼い日の約束を覚えているだろうか。  そう、まだ本当に幼い日々、密やかに交わされた未来への約束。  それを忘れる事なく覚えていられるだろうか。  俺の名は柏崎 颯人(かしわざきはやと)今年で20歳になる社会人。  俺にはその昔に、大切な約束を交わした相手が居る。  その子は幼稚園の頃から、毎日のように公園で一緒に遊んでいた女の子。  幼稚園を卒園し、小学校に入っても変わらず一緒に遊んでいた子。  だけど小学校の3年生になる時、彼女は転校する事になった。  そのお別れの日、俺と彼女は二人きりで近所の神社にいたんだ。  目に染みるような赤い夕焼け。  彼女は夕日に照らされて、赤く染まりながら僕の手を握りしめていた。 「はー君、私絶対に忘れないからね。わたし、はー君のことが好きだから。だから約束して」  僕の目をまっすぐに見つめて、彼女は涙を浮かべながらそう言った。  女の子らしい、くりくりっとした大きな目にたくさんの涙が生まれ、その瞳が揺れていたのを今でもはっきりと覚えている。 「僕も……ゆーちゃんのこと好きだから、だから約束しよう、絶対に守るから。」  幼い俺は必死でそう答えた。    ゆーちゃん……篠原 優香(しのはらゆうか)は僕の答えを聞いて、嬉しそうに笑うと、僕の小指に自分の小指を絡ませて、ゆびきりげんまんと言い始めた。 「大人になった時の今日、必ずここで会おうね。そしたら結婚しようね!」  その約束に俺は大きく頷いた。  ゆーちゃんはそんな俺の頬に唇を触れさせた。 「ホントのチューは、大人になってここで再会した時にね!」  涙を流しながらそれでも笑ってそういったゆーちゃんは、バイバイって元気に言うと僕に大きく手を振った。  あれからたくさんの月日が流れたけど、俺は一度もゆーちゃんとの約束を忘れなかった。  だから彼女を作った事もないし、もちろん交際経験もない。  一度も忘れる事のない約束、ゆーちゃんと再会して結婚する。  その約束を疑った事がなかったからだ。  そして今日、漸くその約束が果たされる事に、俺は高揚していた。  もうすぐゆーちゃんに会える。時間までは約束していなかったけれど、日付は間違っていない。  神社に到着した俺は、鳥居の辺りで腰を下ろして、来るべき再会の日を待ちわびた。    辺りが真っ暗になり、街灯の明かりすら頼りなくなる頃。  俺はスマホを取り出して時間を確認した。    「23時55分」  20歳になった歳の、引っ越しの日と同じ日付……彼女は現れなかった。  俺は一人で大きな喪失感と、失望を抱いたまま立ち上がる事も出来ず星を見ていた。  だけれど、結局俺はあの約束も、ゆーちゃんへの想いも忘れる事が出来なかった。  翌年も、その翌年も、わずかな期待を胸に俺はあの場所を訪れていた。  でも彼女にであう事はなかった。  もう彼女は約束の事なんか忘れてしまったのだろうか。  暗い気持ちが徐々に心にわき上がってくる。  それを抑え込んで毎年、神社で彼女を待ちわびる。  そんな日々が5年続いた頃、俺の心には諦めの気持ちが強く残っていた。  もう彼女は約束の事なんて忘れたんだ。  だから俺も新しく人生を生きなければならない。  そう考え始めていた。  だからその翌年、俺は神社に行くのをやめた。  それから2年後、俺は職場でであった女性と結婚をした。  約束が果たされない事で気落ちし、自棄になっていた俺に寄り添ってくれた優しい人だ。  共に過ごす時間が気持ちを繋いで、それはやがて恋になり、愛に変わった。  だから俺はその人とこの先の人生を一緒に歩もうと決めた。  その翌年、子供が生まれた。  妻に似た可愛い女の子だった。  その子が生まれた時、なぜだか不意に俺は、約束を思い出した。  そして何故か解らないが、俺はあの神社に絶対に行かなければならないと強く感じた。  事情を話し、妻の了解を得た俺はすぐに神社へを向かった。  神社に着いた時、日は完全に落ちて辺りはもう暗くなっていた。  鳥居をくぐり抜けて境内に足を運ぶ。  そこで俺の足は止まった。  境内の奥まったところ、大きな木の前に一人の女が立っているのが見える。  腰の辺りにまで伸びている黒髪、表情までは窺えないが恐ろしく白い肌。  誰だろうかと不審に思いながら、ゆっくりとその女に近づく。 「やっと……見つけてくれたんだね」  女がそう言った。 「会いたかったよ……ずっと、ずっと。はーちゃん」 「ゆー……ちゃ……ん?」  女はもう俺の目と鼻の先まで近づいていた。  面影の残る、大きな目、通った鼻筋。  記憶の姿より大人びていたけれど、それは優香だと確信した。 「ゆーちゃん、優香、俺は毎年来てたんだ。なんで会いに来てくれなかったんだ!」  優香を抱きしめようと手を伸ばす。  だがその腕は空を切った。 「私はずっと……ここに居たよ。ずっとはーちゃんを見てた。私を見つけられなくて一人で泣いていた貴方を。それでも毎年来てくれた貴方を。そしてついに諦めてこなくなった時を……全部見ていた。」  優香は寂しそうに、儚く微笑んだ。  俺は彼女の名を呼び、もう一度抱きしめようとしたけれど、やはりその腕は空を切った。 「はーちゃん、ごめんね……、わたし貴方とのやくそくを守れなかった。私ね…大人になる前に、死んじゃったんだ。でもどうしても貴方に会いたいと願ったら気がついたらここに居た。」  優香は本当に悲しそうに、眉尻を下げて、それでも健気に微笑んでいた。 「毎日ずっと、神様にお祈りしていた。貴方に会いたいって。貴方が来なくなってからもずっと。やっと願いが叶ったんだね……。ね、はーちゃん。大好きだったよ。本当に結婚したかった。」  俺から1歩ずつ後ずさって距離を取る優香。 「まって優香、俺も会いたかった、本当に会いたかった。ずっと好きだったんだ。だけど会えない時間が積み重なって、もう無理なのかもって諦めて……おれは、おれは!」 「ううん、それは仕方ない事。だってはーちゃんは今を生きているんだもん。わたしはね最後にはーちゃんにもう一度会って、この気持ちを伝えたい……それだけをお願いしていたの。だからお願いが叶ったから、もうサヨナラだね。2回目のサヨナラ。約束のない……サヨナラだね。」  優香の体が少しずつ透明になっていく。 「優香!優香!優香!」  俺はもう彼女の名前を叫ぶ事しか出来なかった。  どうすればいいのか、何をすれば良いのかなんて考える事が出来ない。  この理解不能な状況と奇跡をただ見守るしかないと言う事を理解してしまった。 「はーちゃん……会えて良かった」  それが優香の最後の言葉となった。  優香の姿が完全に消え去ってしまい、俺は大切な何かを永遠に失った事に気がつき、その場に崩れ落ちた。  自分では止める事が出来ない涙が、ただただ流れ続けていた。  空から白い何かがゆっくりと落ちてくる。  雪……。  まだ冬には遠いこの時期に……雪が舞う、優香の化身に見えて、俺はその雪をそっと手のひらで受け止める。  雪はすぐに体温で溶けてただの水に変わってしまった。     
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