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2125年の夏。
梅雨明けの日差しと入道雲。
埠頭に座り込んで、海風と波音を浴びていた。
見た目は単なる不良中学生。
繋がれた小さな船たちが、視界の端で上下する。
水面が陽光を反射する。
フードを深く被り、その陰の中で目を閉じる。
「トアル、どうした」
桟橋を、もう1人の不良少年が追いついてきた。
「シノノメ」
その手には、水滴の滴るペットボトル。
「顔、青いぞ」
「ちょっと吐いた」
「大丈夫かよ」
波が。
相槌を打つ。
「吐いたらスッキリした」
水面に視線を落とす。
「熱中症じゃね?水分取れよ」
差し出されたペットボトルを受け取る。
「ありがと」
その水を。
飲み下す。
「暑い。泳ぎたい」
「今お前が吐いた海で?」
「はは」
***
ピピピピ
まどろみの向こうに。
目覚まし時計の音がして。
聴覚センサーが反応する。
身体が横になっていることを知覚する。
皮膚感覚センサーが、パイル地の枕カバーのゴワつきを検知する。
瞼を、開ける。
朝陽に視覚センサーが反応する。
瞳孔リングが縮む。
眼球が眼窩の中を回り、目覚まし時計を見上げる。
2125年、7月、27日。
午前6時、20分。
日付と時間を把握し、音の鳴る目覚まし時計を叩いて止める。
「よく寝た」
と、言うのだろう。
ニンゲンなら。
その真似事をして伸びをする。
人工関節が軋む。
瞬きをする。
視覚センサー正常。
聴覚センサー正常。
触覚センサー正常。
首の。
後ろ。
挿さったコードを引き抜く。
コードの繋がった先。
充電ベッドのモニタを確認する。
個体コード:T200-AL
記憶データ圧縮率:100%
顕在記憶容量使用率:1%以下
潜在記憶ネットワーク:アクティブ
バッテリー残量:80%
寝室を後にする。
旧首都トーキョーのはずれ。
薄汚れた繁華街の裏路地のビル。
この小さな事務所のコンピュータの中で、T200-ALは生まれた。
1階に降りると、徹夜明けらしい家主がいた。
「おはようユーグ」
19歳の一流ハッカー、ユーグ。
彼がT200-ALを作った。
「ユーグ?」
聞こえていないらしい。
朝だというのに締め切ったブラインド。
電子端末の青白い光だけを浴びて振り返るその顔には、ひどいクマが影を作っている。
「また徹夜か」
データ。
データ。
データ。
四角いモニタがいくつもユーグを向いて睨み、ホログラム投影機が空中に何やら長い文字情報を吐き出し続けている。
勝手にスクロールして虚空へ消えていくそれを、T200-ALも目で追う。
“新種の情報破壊ウイルス、国内ネットワークに侵入”
“3年前の電脳パンデミック時のウイルスと同系統”
“第4世代以前のチップで意識消失等の重症化リスクあり”
“相次ぐウイルス災害に、電脳政策への批判高まる”
“反電脳主義者によるハッカー狩りが加速”
表情は止まり。
呼吸も浅く。
身動きひとつしない。
仕事中だ。
その大脳基底核に埋め込んだ電脳チップを介して、複数のプログラムを同時に操る。
デスクに座ったまま、無限に広がる電脳の多重世界を駆けるのだ。
表向きは個人や小さな企業相手にプログラムの点検保守を請け負っているが、その裏では違法なハッキングと情報の売り買いをしている。
「ユーグ」
肩に手を置くと、びくりと大きく揺れた。
「少し休みなよ」
「平気だ、トアル」
クマを一層深くしながら、自分の作った機械に微笑む。
“トアル”は、ユーグの最高傑作だった。
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