檻姫と彦星

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「いくら喧嘩が強くたって、全部屋回るのは厳しいと思うけどね」  鴨肉ステーキを食べながら山本が言った。矢田裕翔は相槌を打ちながら水を飲む。君蔵が頼んでいたから、つい同じものを頼んでしまったが、これは凶器だ。辛すぎる。  あの知久とかいう一年、厄介だ。君蔵のことを考えているのは分かるが、今回のイベントは正拳突きみたいな方法では勝てっこない。君蔵を勝たせてやれるのは自分だ。  でも大丈夫だ。矢田は自分に言い聞かせた。君蔵は部屋に来てくれる。さっき彼はキョロキョロと周囲を見回し、自分に視線を止めていた。それに気づいた矢田は、さりげなく蓮華を握った手でグッドサインを作った。きっと伝わっている。万事準備オーケーだ。  檻姫の出発は23時45分。矢田は22時から部屋の掃除を始め、下心などないけれど、汗をかいたので自室のシャワーを浴びた。ちょっとでも印象を良くしたい。これも下心のうちだろうか。  そわそわして落ち着かない。サインは……本当に伝わっていただろうか。23時35分、急に自信がなくなってきた。  パソコンを立ち上げ、もう何度目かもわからない位置情報確認をする。  矢田は超薄型GPSを記録係のローファーに取り付けていた。現在、記録係は生徒会室にいる。彦星役を聞いているところだろう。  画面の中の赤マルが動き出した。記録係が彦星の部屋へ向かったのだ。手が汗ばんできた。順調だ。このまま彦星の部屋に行けっ! 画面に向かって念を飛ばす。  三号棟の一室で、赤マルは止まった。……武道推薦の学生寮だ。矢田は不安に駆られた。剣道部員の部屋だったら……  矢田はすぐさま、学生名の記された見取り図と照らし合わせた。そこに記された名前に、ハッと息を飲む。  ドアホンが鳴り、心臓が跳ねた。君蔵だ。ドアに飛びつき、急いで開けた。 「どうぞ、入って」  自分を頼って来てくれたのだ。矢田は胸が締め付けられた。殴られたことも、首を鷲掴みされたことも美化できる。 「彦星の手がかり……あるんですか」 「敬語じゃなくていいよ。今更でしょ」  敬語を使われると八角を思い出すのだ。 「あるんだろうな」  君蔵は挑むような視線を寄越してきた。 「そんな……わざわざ言い直さなくても……」  でも単純な自分はドキッとしてしまうのだ。 「これを見て」  矢田はは君蔵をパソコンへ誘導し、記録係のローファーにGPSを取り付けたことを説明した。嫉妬心が渦巻いて、何度も舌がもつれた。  豚小屋に入って欲しくない。そのために知恵を絞り、記録係を割り出し、GPSを取りつけた。労力はそこまで使ってないけれど、少なくとも、口だけの知久よりは彼のために動いた自負がある。なのに…… 「……彦星役は、知久くんだ」  絞り出すように言った。君蔵は画面の赤マルを凝視している。何を考えているんだろう。 「知久くんで良かったじゃないか。二年とか、剣道部に当たらなくてラッキーだと思うよ」  君蔵がキッと睨んできて、矢田は無性に腹立たしくなった。こっちだって教えたくなかったのだ。でも知久とやれば勝てる。こんな簡単なことはない。教えたくない理由が、自分の卑小な恋愛感情しかないから、そんなの理由にならないから教えたのだ。もっと下品な言い方をすれば、知久に「譲った」のだ。 「早く行きなよ」  追い払うように言うと、君蔵は礼も言わずに出て行った。
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