檻姫と彦星

1/6
79人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ

檻姫と彦星

 部長から檻姫役を聞かされた矢田裕翔は、「嘘でしょう」と声をひっくり返した。 「だ、だって、唐和会の構成員だから手出しできないって、部長、言ってたじゃないですかっ!」  檻の中に収監された君蔵を想像して、ゾッとした。  ジューンブライド、及び遊具の刑が終了し、新聞部は次のイベント、「檻姫と彦星」の学校新聞作成に取り掛かることとなった。  七夕の日に開催されるそれは、檻姫役に選ばれた学生が、彦星の部屋へ行き、彦星とセックスする、という、一見生やさしいイベントだ。  けれど彦星役の学生は伏せられ、織姫は全く手掛かりのない状態で、寮生約100人の中から、彦星を探し当てなければならない。そして午前7時までにそれが達成されなければ、檻姫役に待ち受けているのは一週間の豚生活。野外の檻の中で、裸で豚と一緒に生活するのだ。 「構成員といっても、彼は八角の付き人だ。一般学生と同じ扱いをされても仕方がない」 「組員に手を出されたら、あの坊主が黙ってないでしょう! 生徒会は何を考えているんですかっ!」 「落ち着きたまえ。そもそも檻姫役に君蔵を推薦したのは八角だ。生徒会に押しかけて、ジューンブライドみたいなイベントはないのかって、亜城くんに言い寄ったらしい」 「はっ」  理解が追いつかない。唖然とする矢田に、部長は続けた。 「仕置き、だそうだ。……まあ、君蔵はジューンブライドの時、他の参加者を傷つけた疑いがあるからね。八角もケジメをつけさせたいんだろう」 「彼が他の参加者を傷つけたって、そんなの噂じゃないですかっ!」 「だが学校中が彼を犯人だと信じている」 「そんな状況で檻の中に入ったらっ、大変なことになりますよっ! ケジメなら自分でつければ良いじゃないですかっ! なんでイベントを利用するんですっ、あの坊主はっ!」 「僕が知るわけないだろう。とにかく檻姫役は君蔵に決定だ。ほら、写真とインタビュー、行った行った」  急かされ、矢田は部室を出た。心臓が激しく波打っていた。嫌だ。彼の裸を見せたくない。坊主だけが知っているのも癪だけれど、晒し者になるのはもっと嫌だ。なんとしても阻止したい。彦星役を知るのは生徒会。生徒会に隠しカメラを設置するか?  いやだめだ。バレたら矢田不動産が潰される。亜城我九をはじめ、生徒会の面々はラグジュアリーを極めたノーブル集団。神々の巣窟にカメラを設置するなんて極刑に値する。  何も策が浮かばないまま柔道場に着いた。新堂が矢田に気づいて眉根を寄せた。新聞部が何の用だ、と言わんばかりである。「続けてろ」と言い捨て、駆け寄ってきた。 「新聞部が何の用だ」  赤色の腕章、首から下げたカメラを睨みつけ、新堂が言った。 「うちの部員が、檻姫に選ばれたなんて言わないよな?」  さすが三年。話が早い。 「俺か?」 「い、いえっ、違いますっ」 「誰だ」  安堵の表情を浮かべることなく、新堂は聞いた。彼が慕われる理由が何となくわかった。内面の勇ましさが口調と動作から滲み出ている。見た目は女好きのする優男だが、これは男から好かれるタイプだ。 「……君蔵くんです」  新堂が驚きに目を剥いた。その奥で、八角がニヤニヤとこちらを見ているのが目に入った。君蔵の肩を叩き、「あれみろ」という風にこちらを指差す。  八角、その後に君蔵、二人がやってくる。 「二人とも練習に戻れ。何かの間違いだ」  新堂が勝手なことを言った。この人は君蔵が八角に売られたことを知らないのだろう。 「檻姫の意気込みをどうぞってやつだろう。間違いなんかじゃないぜ。こいつは檻姫だ。ほら、写真もじゃんじゃん撮ってくれ。はーい、檻姫ちゃんでーす!」  八角が無駄に大声で言った。 「君蔵が檻姫ってマジ?」「あいつが檻入ったら終わりだろ。剣道部の恨みすげー買ってるみたいだし」「佐古のクラスの奴らもカンカンだろ。マジで殺されるんじゃね」  君蔵が困惑気味に背後を見やった。大柄な男が駆け寄ってくる。 「おい、君蔵がなんだって」  敵対心丸出しで言ってきた。 「知久、お前は練習に戻れ」と新堂。大柄な男は「知久」と言うらしい。キリリとした眉が男らしい、精悍な学生だ。質実剛健とは彼のような男を指すのだろう。 「君蔵が関係ないならいい。おい、テメェ何しに来た」  知久が言い、君蔵もつられるようにこちらを見てきた。美術室で暴行された記憶が蘇り、恐怖心が芽生えたものの、彼の不安げな表情を見ていたら自然と消えた。 「八角くん、本当に良いの?」  知久は相手にせず、矢田は八角に問うた。頬骨の高い、浅黒い老け顔。見ているだけでイライラした。お前は君蔵の体を、他の学生に見られてもいいのか。自分が作り替えた体をっ…… 「ああ、構わねぇぜ」  八角は耳障りな低い声で答えた。この声で君蔵に命令し、脱がせているのだと思ったら腹の底が煮えた。 「またふざけたイベントか」  知久が唸るように言った。 「……花嫁みたいなものに、選ばれたんだな、俺は。それで、ルールは」  気丈に振る舞おうとする彼に胸が痛んだ。事態を把握し、頬が引き攣っている。  矢田はルールを説明した。新堂と知久から責めるような視線を浴びせられ、悪の手先になった気分である。 「……なら、問題ない」  聞き終えると、君蔵はそれだけ言い、道場の奥へと引き返していった。  問題ないわけがない。ちゃんと聞いていたのか? 矢田は「待って」と君蔵を追いかけた。聞き入れられず、目の前でシャワールームの扉が閉められる。  シャワールーム……別に、部員以外が使ってはいけないルールはない。矢田は「失礼します」となぜかかしこまって扉を開けた。  君蔵の姿は奥のロッカーにあった。襟に手をかけたまま静止している。脱ぐ……わけないよな。 「君蔵くん、檻姫と彦星は、まだ誰も成功してないんだよ」 「なら俺が第一号だな」 馬鹿なことを。矢田はやきもきした。部屋を回れば彦星に当たると思っているのだろうが、自分の部屋に訪ねてきた檻姫を普通の学生は放っておかない。運が悪ければ一部屋目で朝まで犯され、ゲームオーバーだ。 「そのイベント、褒美はあるんだろうな」  褒美、という甘い響きに頬が熱くなった。 「花嫁の時は平穏に暮らせる権利だったろう」  そう続けられ、矢田は自分の下品な思考に恥ずかしくなった。見透かすように君蔵が冷たい視線を寄越してくる。 「あ、うん。もちろん……『卒業まで平穏に過ごせるで賞』がもらえるよ」 「はっ、ふざけてるな」  嘲笑でも、笑った姿にドキリとした。 「だが俺はついてるな。こんな簡単な遊びでそれが手に入るんだから」  まったく。 「君蔵くん、俺の話ちゃんと聞いてた? 彦星は部屋に入るまでわからないんだよ。彦星の部屋に記録係がいて、それでやっとわかるんだ」 「部屋を回ればいつかは彦星の部屋に当たる。簡単な遊びだ」 「歴代の檻姫が回れた部屋数は、一番多くて五部屋だよ。このイベントは、彦星が誰かわかってなきゃ勝てない。……きみは部屋の住人の餌食になって、朝まで身動きが取れないはずだ」  だしぬけに、ぐっと首を鷲掴みされた。淡白な綺麗な顔が、自分を見上げている。矢田の足は地面から離れていた。片手で男一人を難なく持ち上げられる馬鹿力に、苦しさよりも驚きが勝った。 「餌食にはならない。妙な真似しようとした奴は半殺しにするまでだ」  そうか、彼は暴力に物を言わせて、目的地まで突き進むつもりなのか。  手が離れ、矢田は床に倒れた。ケホケホと咳き込みながら、無謀な男を見上げる。 「……そんなの、だめだ」  君蔵はロッカーを向く。気を取り直した風に道着に手を掛けるが、やはり脱がない。人前では脱げないのだ。だったら俺の話を聞いてもらおうか。 「きみには疑惑があるっ……心当たりが、あるだろうっ……きみは喧嘩は強いかも、しれないけれど、みんな、本気で怒ってるんだ。罠だって、かけてくるよ」  佐古に賭けていたクラスメイトの怒りは尋常じゃない。もっと怖いのは剣道部だ。君蔵が部屋に入ってきたら、待ってましたとばかりに襲いかかるだろう。 「それに……それに、これ以上きみの評判が悪くなるようなこと、やめるんだ」  君蔵が道着の襟に手を掛けたまま、矢田を見下ろした。無表情だが、意識してそうしているように見えた。  ふいっと視線をロッカーに戻すと、彼は小さな声で、「考えておく」とだけ言った。  それだけ。そのたった一言で、目の前にいる無愛想な男が、たちまち素直でかわいい下級生に見えた。暴力的という致命的な欠点ですら、「不器用」に変換されて愛しくなる。 「当日、俺の部屋に来てくれないかな」  勝手に口が動いた。君蔵が胡散臭げにこちらを見る。 「彦星の手がかりを探しておく。大丈夫、きみには何もしないから」  君蔵はフッと鼻先で笑った。高校一年生らしからぬ色気にゾクリとする。愚弄の言葉でも……例えば、「貴様なんぞ両手が使えなくとも八つ裂きにしてくれるわ」とか「非力な小僧が何を抜かす」とかいうのを矢田は想像したが、返ってきたのは、またも「考えておく」だった。  なんとしても彼を勝たせる。矢田は心の中で決意した。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!