深夜のアップルパイ。

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深夜のアップルパイ。

商業都市ターコイズ。 大陸最大規模の商業ギルドと冒険者ギルドを有するこの街は、夜になっても稼働し続ける。 冒険者には昼も夜も関係なく、また、その冒険者を相手に商売する店も多数存在しているからだ。 いやー、異世界に来てまで深夜まで働くとは思ってなかったわ……。 もっとも、きちんと交代制で働いているため、残業続きだった向こうとは比べ物にならないほどホワイトだが。 夜番は、お給金も上がるし。 「はい、次の方!」 鑑定の窓口には、ずらりと人が並んでいる。 大手の商会は鑑定士を雇っている所もあるが、基本的には皆商業ギルドへ持ち込み、鑑定書をもらって取り引きをしている。 自分の所に有利な鑑定をしていないか、疑われるのを避けるためだ。 「えーと、品物は石鹸ですね」 差し出された木箱の中身を確認する。 「はい。いつもの雑貨屋さんに卸します。三十個です」 緊張した様子の少年が頷いた。 おそらく、家のお使いで来たのだろう。 意識を目に集中させ、石鹸を見る。 ほわん、と石鹸から雲のような物が浮かび上がり、そこに〈良〉の文字が見えた。 私の鑑定スキルによるものだ。 「石鹸三十個。全て〈良〉ですね」 「ありがとうございます!」 私の言葉に、少年は嬉しそうに頬を紅潮させた。 個人の職人が作っていて〈良〉なら、十分な出来だ。 物によって偏りもない。 鑑定書に品物の種類と数、鑑定結果を書き込む。 「では、こちらの書類を二階の窓口に提出してください。確認後、ギルドの印を押して手続き完了です」 「はい! ありがとうございました!」 元気よく返事をすると、少年は大事そうに木箱を抱え、二階へ続く階段へと向かっていった。 「なつき。そろそろ休憩に入っていいわよ」 私の上司にあたるリラーナさんが、声をかけてきた。 銀色の髪と青紫の瞳を持つリラーナさんは、ほかの世界から迷い込んだという祖母を持ち、その祖母と同じ立場の私を何かと気にかけてくれている。 「美味しいアップルパイがあるから」 リラーナさんが、こっそりと囁く。 その言葉に、一気にテンションが上がる。 「休憩行ってきまぁす!」 素早く片付け、リラーナさんと受け付けを交代する。 ギルドの裏口近くに従業員の休憩室があり、そこでお弁当やおやつを食べたりしてもいい事になっている。 また、渡り廊下の向こうには従業員用の浴場と仮眠室がある。 棚の中に保温効果がついている魔道具の箱があり、「アップルパイ。ご自由に」とリラーナさんの字で書かれたメモが貼ってあった。 蓋を開けると、ふわん、といい香りがした。 魔道具のおかげで、ほぼ焼きたてだ。 美味しそうに焼けたパイ生地に、甘く爽やかな香り。 アップルパイと呼ばれてはいるが、使われている果物は林檎ではない。 ノアルといい、寒くなると黄色っぽいごつごつした実をつける。 確かに、香りは林檎に似ているが、硬くてとても食べられるような代物ではない。 昔は、香りを楽しむ観賞用だったらしい。 ある時、ノアルは火を通せば柔らかく甘くなる、という事を発見した人がいて、その人が〈アップルパイ〉という名前でレシピを広げたのだそうだ。 ナイフで切り分けると、パイ生地がさくっと音を立てた。 アップルパイの隣に置いてあった小さな壺には、縁いっぱいまでとろとろの蜜が入っていた。 砂糖は貴重品なので、甘味を足したい時はスカイビーと呼ばれる蜂の蜜をかけて食べるのだ。 蜜をたっぷりとかけ、熱い紅茶も淹れた。 「いただきます!」 ノアルはしっとりと柔らかく、中心部分にしゃきっとした食感が残っている。 火を通したノアルの素朴な甘味と、少しだけ感じる甘酸っぱさ。 それに、とろっとしたスカイビーの蜜が絡み、絶妙な甘さだ。 パイ生地はさくっとしていて香ばしい。 「うっまぁ……!」 お行儀が悪いが、垂れてきた蜜を舌ですくって受け止める。 ふうわり、とノアルの香りがする。 蜜も、ノアルの花の蜜だ。 「んー……!」 美味しいなぁ……。 幸せな気持ちになりながら、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
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