ルッコの実の焼き菓子。

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ルッコの実の焼き菓子。

いつも通り商業ギルドに出勤すると、ひどく慌ただしかった。 なんか、トラブルでもあったのかな? 「おはようございます!」 私が挨拶をすると、上司のリラーナさんがほっとしたような笑みを浮かべた。 「おはよう、なつき。今日は受付はいいから、倉庫の方へ行ってもらえるかしら?」 「はい……」 手に持った書類を見ながら、リラーナさんがため息をつく。 「しばらく、価格が暴落するわね……」 仕入れミスか何かかな? 倉庫に向かった私は、ソレを見てあんぐりと口を開けた。 倉庫の中に入るようなサイズではなかったからか、普段は馬車がひっきりなしに行き交っている搬入路の一部に山積みになっていたのだ。 ドラゴンが!! 「……マジか」 いや、でっかいな? ドラコン一頭が、小学校の校舎くらいの大きさだ。 私が担当するという事は、まず鑑定しろという事なんだろうけど。 しかし、ドラゴンの仕入れは冒険者ギルドの担当じゃなかったかな? 「おぅ、なつき。来たか」 商業ギルド所属の魔法使いであるノースリーさんが、私の姿を見つけて声をかけてきた。 「どうしたんですか、このドラゴンは?」 いまだにドラゴンを見上げたまま、私は返事をした。 「ターコイズの東にある山脈に、ドラゴンの群れの襲撃があったらしくてな」 ノースリーさんがため息をつく。 ドラゴンの群れ!? 前に聞いた事があるのだが、ドラゴンは冒険者が百人単位でやっと一頭仕留められるという話だった。 それも、ドラゴンも冒険者もぼろぼろになって、やっと決着がつく。 もし、群れが襲ってきたのなら、国も街も滅びるしかない、と私は聞かされていたのだけれど。 「でも、このドラゴン……」 見た感じ、ほぼ無傷に近い。 この状態なら、商業ギルドに持ち込まれたのも分からなくはない。 一頭だけなら罠か何かがうまくいった可能性もあるが、山積みになったドラゴンのほぼ全てがその状態だ。 ノースリーさんが、悪い方の足をおそらく無意識にさすりながら笑った。 足を悪くする前は、冒険者をしていたという話だった。 「〈竜殺し〉に、ターコイズから特急依頼が出たんだよ」 「〈竜殺し〉!? え、実在するの!?」 思わず敬語を忘れて、叫んでしまった。 私が迷い込んでしまう数年前、この世界は滅びかけたらしい。 黒い霧と共に魔物の群れが大発生し、様々な国や都市を襲ったのだという。 実際、一晩で全滅した都市もあったらしいのだが、あまりその話をおおやけにする者はいない。 その時、大陸中を駆け回りほぼ全ての防衛戦に関わっていたのが〈竜殺し〉と呼ばれる冒険者で、今やたくさんの書物が出版され、いつもどこかで芝居がかかる程の人物だ。 だが、その姿を知る者は少なく、滅びかけた人々が生み出した英雄の幻影だという話も出ていた。 「実在っていうか、多分その辺をうろうろしているぞ」 そう言って、ノースリーさんは笑った。 「うろうろ……?」 冒険者をしていた頃、ノースリーさんは何度か〈竜殺し〉と会った事があると言った。 「お前さんと同じで、いつも屋台の辺りでなんか食ってたしな」 む。それは、何か親近感が……。 いや、いつもってどういう意味ですか? そんなに食べているかなぁ、私。 「これ、やるよ」 ノースリーさんが、茶色の紙袋を私にくれた。 ほんのりと温かい。 中を見ると、ルッコの実の焼き菓子がぎっしりと入っていた。 まだ焼きたてのようだ。 ルッコは、一年中小さな甘酸っぱい実をつける果樹だ。 季節により、色や甘さ、酸味などが微妙に違う。 ジュースやスカイビーの蜜で煮たジャム、または果実酒まで、様々に加工される。 私が特に気に入っているのが、生地にルッコの実を練り込んで焼いた、素朴な焼き菓子だ。 少しパサついた食感の生地に、ルッコの甘酸っぱい果汁が染みだし、しっとりとした食感に変わる。 口当たりが軽く、いくらでも食べられるのだ。 「ありがとうございます!」 思わず声を弾ませる私に、ノースリーさんが気の毒そうな視線を向けてよこした。 「今日は、飯食うヒマもないだろうからな」 「……は!?」 「ドラゴンってのは、捨てる所がないんだよ」 爪一本や牙一本、鱗一枚に至るまで武器や装備品、船や馬車の装飾など様々な加工が施されるのだそうだ。 死ぬと結晶化する肉は食用には向かないが、薬などの材料になるらしい。 おまけに、今回のドラゴンはほぼ無傷のため、他国でも欲しがるだろうから、鑑定は急いで行う必要があるのだと、ノースリーさんは言った。 「だから、冒険者ギルドだけじゃなくて、うちの方にも回ってきたんだろうけどな」 だが、その言葉は私の耳を通り抜けていった。 ご飯が食べられない……? これ以上の一大事があるものか! ええい、〈竜殺し〉め! 食べ物の恨みは怖いんだぞ!! かくして、私は見た事も会った事もない英雄に、理不尽な怒りをぶつけるのであった。
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