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ワイルドボアのトンカツ。
商業都市ターコイズの夜は明るい。
ドワーフ達の住む火山都市ガーネットで採掘された炎鉱石を使った街灯が通りに並び、朝まで明々と灯っているからだ。
屋台からは威勢のいい掛け声が聞こえ、依頼に向かう途中なのか、冒険者達が駆け抜けていく。
大陸最大規模の冒険者ギルドと商業ギルドを有するターコイズでは、昼も夜もたいして違いはない。
ギルドは昼夜問わず開いているし、主に冒険者を相手にする店は夜中でもにぎわっている。
それでも、タイエさんの青果店のように朝早くから夕方までと時間を決めている店もあるし、逆に深夜にしか営業していない店もある。
私は遅番上がりなので、今は真夜中だ。
煌々と明るく、人通りも多い。
若い女が一人で歩いていても、身の危険を感じずにすむのはありがたい。
元いた世界では、残業帰りに怖い思いをした事もあったしね……。
もちろん、この世界にも面倒な酔っぱらいはいるし、タチの悪い冒険者がからんでくる事もある。
だが、街が作った自警団もあるし、ターコイズの冒険者ギルドは規律が厳しく、トラブルを起こした冒険者はすぐに処罰されるらしい。
ついでに言えば、冒険者を相手に商売をしている店は、たいてい引退した冒険者がやっているらしく、妙な奴にからまれていれば助けてくれる。
そのあと、問題を起こした輩は飲食店、武器屋、薬屋などのほとんどの店を出禁になる。
謎に繋がっている連絡網で、あっという間に広まるのだそうだ。
結果、トラブルを起こした者は、ターコイズでは冒険者を続けられず、いつの間にか姿を消している。
ギルド同士での伝達もあるのか、よそに行っても同じような扱いをされ、彼らは最終的に盗賊に身を落とす者が多いのだ、と聞いた。
先日も、商業ギルドの仕入れの馬車が盗賊に襲われたらしい。
護衛として雇っていた冒険者達のおかげで人や馬は無事だったが、荷馬車一台分の荷物が奪われてしまったと、休憩室で仕入れ部門の人達が話していた。
魔物が襲ってくる事もあるらしく、街の中にいる分には安全だが、一歩外に出るとやはり異世界なんだな、と実感した。
お、ここかな?
やった! まだ営業している!
お目当ての店を見つけ、私は足を止めた。
小さな扉に、ぶっきらぼうに「ある」とだけ書かれた張り紙が貼ってあった。
元冒険者のノースリーさんが教えてくれたお店だ。
深夜しか営業しておらず、しかも一品だけ出しているメニューが売り切れになると同時に閉店してしまうのだそうだ。
その一品というのが、ワイルドボアのトンカツなのだ!
ワイルドボアの肉は少々クセが強く、じっくり煮込むか、ハムやソーセージのように加工して食べるか、そうでなければひき肉にしてコロッケのようにして食べるのが一般的だ。
屋台では串焼きなども売っているが、あまり美味しくはないようだ。
中に入ると、あまり新しくはないが、きちんと手入れされている感じだった。
「トンカツください! あと、冷やした麦酒も!」
「……」
無骨な感じの店主が、こくりと無言で頷いた。
怒っているわけではなく、人見知りで恥ずかしがっているだけだから気にしなくていい、と事前にノースリーさんから聞かされている。
厨房の方から、じゅぅぅーっと油で揚げている音が聞こえてくる。
ああ、たまらん!
そわそわして待っていると、ワイルドボアのトンカツと木のジョッキに入った麦酒が運ばれてきた。
こんがりときつね色に揚がったカツは、衣がじゅうじゅうと音を立てている。
店主が口の中でもごもごと何かを呟きながら手をかざすと、木のジョッキがぱきぱきと音を立てて凍った。
ご丁寧に、持ち手の部分だけが凍っていない。
中の麦酒にも、表面にうっすら氷の膜が張っている。
トンカツにナイフを入れると、さくっと音がした。
塩とソースが添えてあり、また、マスタードのような味がするハーブとシソのような香りのするハーブの葉も何枚か一緒に皿に乗せられていた。
塩をつけたカツを口に運ぶ。
からりと揚がった衣に、よく火の通った肉は柔らかくジューシーだ。
ワイルドボア独特のクセは全く感じられず、肉の旨味だけが口いっぱいに広がる。
「うっまぁ……!」
冷えた麦酒をごくりと飲む。
「ああーっ、最高!」
ソースをつけたり、マスタードのような味がするハーブの葉を巻いたりして、味を変えながら楽しむ。
いやぁ、麦酒が進むわぁ……。
大きなカツだったが、途中で飽きる事もなく、ぺろりとたいらげてしまった。
麦酒もお代わりしてしまった。
店主が扉に貼ってあった「ある」と書かれた紙を剥がして戻ってきた。
どうやら、閉店のようだ。
また、絶対に食べに来よう。
もちろん、キンキンに冷えた麦酒も一緒に!
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